生きているだけでいい、って鋭利的な言葉で発するのを避けていたけど
12月に入ってからずっと体調不良が続いていた…?と思う。最初は頭痛が少し。そこから不眠が続き、動悸の頻度が高まり、でも、からだは元気だったからいつも通り仕事をしていた。でも、だるさが常にあり、やる気が出なかったり集中力が途切れたり。
「なんだかおかしい」と思い情報をまず遮断。SNSは見ないようにした。仕事や予定もセーブし心身ともに休む状態をつくった。体調が徐々に良くなり、いま振り返ると、少しメンタル面がよくなかったのかな、と。
僕には成し遂げたい目標がある。果たしたい使命がある。でも、それに追われることがしんどくなったのかもしれない。そのプレッシャーがつらい。そして、僕は無意識のうちに他者にも目標や使命を持つことを強要してしまっているのではないか、と自問自答。
目標や使命がなくてもいいんじゃない? あったとしても常に持たなくてもいいし手放す時間もあってもいいじゃん、と思うと気が楽になった。「こうあるべき」を自分の中に持ち、それを演じていたのかもしれない。
生きているだけでいい、って鋭利的な言葉で発するのを避けていたけど、ここ最近強く思っている。もちろんいろんなことをぐるぐると考えればそぐわない言葉かもしれないけど、ここ数週間の体調不良があったからこそ、この言葉に説得力が出た気がする。
1人ひとりがSOSを出すことが許容され、支え合うことが循環する、みんなイージーモードで生きれる、そんな世の中に。ほんまにつくりたいな。
福祉の線引きを薄めるために、福祉の中で遊んでいます。特に障害をお持ちの方と一緒に。みなさまのサポートはそれらの遊びに活用します。