第12回「脱・施設から築・地域へ!NPO法人「月と風と」が目指す半径2キロの"混浴社会"!? ~2話目~」
■おふろプロジェクト—「劇場型銭湯」で目指す“混浴社会”—
そんな「ヒトリボッチジャナイプロジェクト」の中でひときわユニークなのが「お風呂プロジェクト」。「みんなで旨いものを食べ→お芝居を見て→まちの銭湯へいくという健康ランドのような1日を過ごす」その名も“劇場型銭湯”というイベントを地元の銭湯の協力を得て毎年開催。障害者のメンバーと地域の老若男女が一緒にお風呂につかり、汗を流して「いい湯だな♪」を体感する、という“裸のお付き合い”を通した最強の仲間作りイベントなのです(※水着着用です)。
『重度心身障害者の人は、自分で「動けない」「喋れない」人が多いのでその瞬間だけを「点」でみられると不利。下手すると「生きてんの?」「意識あんの?」とはたから見ると思われちゃったり。僕ら(ヘルパー)が「この人のこの表情、この場面見てほしいのに!」という瞬間にはなかなか巡り合えなかったりする。でも例えば僕らが家にいてお風呂に入っているときに、身体がゆるんですごくいい顔したりするんです。これをいろんな人に見てもらったらいいんじゃないか?と考えました。』
■言葉を飛び越える体験を—胃ろうで乾杯!—
そんなお風呂プロジェクトは、まさに月風的「お風呂を中心にしたコミュニティづくり」。清田さんに「これは最高だな!」と思った場面について教えてもらいました。
『お風呂に入る前にみんなでゲームをやっていた時に、うちの利用者の子と地域の男の子が二人ペアで「乾杯!」をすることになったことがあって。利用者の子は胃ろうの処置をしている子だったので、胃ろうに注入しながら一緒にジュースを飲むっていうシーンがありました。その男の子に「どう?」と僕が感想を聞いたら、「甘い。」って言ってその子が笑ってて。これは最高だな!と思った場面でした。』
“障害者の理解”だとか“地域での仲間づくり”だとか。どれだけ大事だと一生懸命言葉で伝えても伝わり切らない部分が、一緒にお風呂に入ったり、一緒にジュースを飲んで甘い!と感じる体験をする中でこそ、言葉で語る以上のものがそこに生まれているのかも知れません。
また、地域の人達に参加してもらうために、徹底的に参加の敷居を低くすることを意識していると清田さんは言います。参加者は「一緒にお風呂に入るだけ」で、介護をしてもらうわけではありません。一緒にお風呂に入り、輪になって背中を流し合ったり、女湯と男湯で掛け合いの歌を歌ったり…。ヘルパーが見ている“この人の魅力”がどうすれば伝わるかをひたすらに考える。そんな月風のプロデュースによって、劇場型銭湯は笑い溢れる空間に仕立て上げられています。
■本人の“超望んでいること”から
このようなユニークな取り組みの一方で、月風の根っこはやはり「障害が一番重い人が地域で暮らせるように支えること」。制度の中でのサービスは、出来ることと出来ないことのジレンマにいつも悩まされるものですが、制度やサービスの枠を出たり入ったりしながらも、清田さんは“目の前の1人とのコミュニケーション”を大切にすることから、この仕事を見つめているように見えます。
『利用者が“超望んでいること”って意外と叶えられてないなと。安心安全=幸せってだけではないし、日々の暮らしには友達も必要だし、音楽も必要。「明日はあれがある!」っていう楽しみも必要。そこを勝手に引き受けるつもりでやっています。だからヘルパー派遣は、本人の“超望んでいること”を探るためのマーケティングなんです。例えば、利用者でかれこれ8年くらい付き合っている20代前半くらいの子がいるんですが、ある日悩みがあると言われて聞いてみると、「友達がほしい。」と。こっちとしては結構仲良くやってたつもりだったけど、自分は友達ではないし、熱が出たって別に電話がかかって来るわけじゃないし。友達になるのが僕の仕事じゃなくて、同世代の人が彼の友達になってくれるきっかけをつくるのが仕事じゃないか。そのためはどうしたらいいか、と知恵を絞っている、そうゆう感じでやっています。』
人が生きるということの複雑さは、他人の人生に深入りして初めて気付くものかもしれません。“幸せな暮らし”、“満足な暮らし”の尺度は一人ひとり違うからこそ、制度やサービスからではなく、目の前の1人の“超望んでいること”から仕事をつくるという、根本的なことが月風では大事にされ、具現化されています。
( 3話目へと続く・・・ )
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