思い出について

色んなことをよく覚えている方だと思う。良いことも、もしかしたら悪いことも。

一つ前のnoteでスイミーについて書いたが、スイミーのことを覚えていたのは、小さなでも大事な思い出があるから。

小学生の時、学芸会でスイミーの歌を歌った。本の内容をなぞる歌で、ナレーション部分は学年全員で歌った。みんな頭に赤い魚の絵をつけていて、でも各クラス1人だけ、スイミーの役を担当することになっていた。スイミー役には台詞があって、私のクラスは「ぼくが 目になろう」だった。私は当時目立ちたがり屋だったのもあって、一番大事なその台詞を絶対言いたい、スイミー役になりたいと思っていた。小学生なので、希望者がクラスの前で台詞を叫んで、一番声がデカかった人がスイミー役、という単純なルールで選抜された。なんと私は一番声がデカかったようでスイミー役を勝ち取った。だから本番は私だけ黒い魚を頭につけて、大好きな台詞を言うことができた。嬉しかったな。

こんなこと、多分私しか覚えていない。スイミーの歌を歌ったことさえ、今はほとんどみんな忘れているのではないかな。同じ小学校だった人で今も連絡先を知ってる人がいないので、確かめようもないけど。でも、私にとってはすごく嬉しい大事な思い出。私だけしか覚えていないとしても、私は覚えていて思い出せてよかった。

このスイミーの歌の思い出話を、スペースで聞いてもらったことがある。私だけの思い出を、聞いてくれた人も覚えてくれて、本屋でスイミーを見かけた時、黒い魚を見た時とかにふいに思い出してくれたら、本当に嬉しいなと思う。

自分一人の思い出を話して、聞いてくれた人との思い出を付け加えることができたみたいで、それってすごいことだと思った。私が覚えていなかったら、スイミーの歌を歌ったことは、スイミー役で「ぼくが 目になろう」を言えて嬉しかった小さな頃の私のことは、誰からも忘れられてしまっていたかもしれない。

誰からも忘れられてしまった思い出はどこに行くんだろう。みんなに忘れられたら、その出来事まるごとなかったことみたいに感じてしまって、寂しい。

忘れたいこともたくさんあって、忘れたくないこともたくさんある。でもきっと、忘れたくないと思う前に忘れてしまってもう二度と思い出せないことも、たくさんある。記憶が消えてしまう前に、何かきっかけがあれば思い出せることもあるかもしれない。

私にとってのスイミーのような、みんなの小さな思い出の話を聞いてみたい。誰かの思い出話を聞くのは、一緒に昔の景色をのぞいているみたいで、あたたかい気持ちになるから。

些細だけど大事な思い出、もし思い出したら私に聞かせてください。誰からも思い出されない寂しい思い出になってしまう前に。

おわり

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