スイミーについて
スイミーが好きだ。レオ・レオニの絵本のスイミー。
小学校の時国語の教科書に載っていた、黒い魚の話。みんな赤いのに、1匹だけ黒い。最後にみんなで泳いで大きな魚のふりをするときに、「ぼくが、目になろう」と言うのだ。
最近、スイミーのことを思い出した。自分が周りの人と同じようにできなくて、だから1匹だけ色の違うスイミーのことを思い出して、自分はスイミーだと思った。
だけど、私はスイミーじゃなかった。久しぶりにちゃんと読もうと思って、絵本を買ってきたら、ストーリーをちゃんと覚えていなかったことに気づいた。
スイミーは、1匹だけ黒い。でも、みんなと違うことの葛藤はどこにも描かれていない。1匹だけ黒いことは、当然受け入れられている前提として物語は進む。
ある日、大きな魚に仲間の赤い魚たちがみんな食べられてしまって、泳ぎの速いスイミーだけが助かった。スイミーは悲しかったが、1匹で海を泳ぎながら、たくさんの美しい生き物に出会う。そして、岩の影に隠れている、失った仲間の赤い魚と似た魚たちに出会って、一緒にきれいなものを見に行こうと誘う。しかし赤い魚たちは、大きな捕食者に怯えて出てこない。そこで、みんなで大きな魚のふりをすることを提案する。みんなに泳ぎを教えて、一匹の大きな魚のように泳げるようになった時に目の役を買って出て、みんなで大きな魚を追い出すのだ。
教科書で読んだのはだいぶ前だったから記憶が曖昧で、スイミーが自分の色を受け入れる話のように思っていたが、全然違った。
スイミーは、自分が他の魚と違うことは最初からすでに受け入れている。仲間を全て失ってたった一匹になって、それでも海の中のきれいな生き物に気がつく。そして自分の泳ぎのうまさと黒さを活用して、他の赤い魚たちと捕食者の大きな魚を追い出して、きれいなものを一緒に見に行くのだ。
スイミーは強い。自分が他と違うことなんてとっくに受け入れていて、仲間を失ってもきれいなものをきれいと感じて奮い立って、他のみんなにもきれいなものを見せたいと言う純粋な気持ちで、自分にしか果たせない役割を果たしてみんなを救う。
私はスイミーになれない。今は他の人と違うことばっかり気にして、前に進めない。
私はスイミーになりたい。自分を受け入れる強さと、失っても立ち上がる勇気と、自分にしか果たせない役割を見つける賢さを、いつか自分のものにできるだろうか。
おわり