死にたいについて
死にたい。でもきっと今すぐには死なない方がよいのだろう。
ある程度自分の中で考えが固まったのと、衝動が落ち着いているのでそろそろ死にたいについて書く。
未遂のことも書くし、デリケートな内容だと思うので、今すごくしんどい方は読まない方がいいと思います。比較的穏やかな現時点での考え方だし、人によっては、お前の死にたいはその程度か、と思うかもしれないのであらかじめご注意ください。死にたくない方や考え方の違う方を批判する意図も全くありません。
気づいた時には死にたかった。何があったわけでもないけれど、小さいころから漠然と絶対に長生きはしたくないと思っていたし、さっさと死ねるならそれがいいと思っていた。多分老いとか衰えが怖くて、幼く若くなくなるのが嫌だったのだろう。大人が嫌いだったし、大人になったはずの今も「大人」が嫌いだ。永遠の中二病、永遠の反抗期を自称している痛いやつが私。「大人」になりたくないから死にたい。
私が嫌いな「大人」ってなんだろうか。考えすぎること、怖がることをやめて、そういうことを子供っぽいことだと決めつけて、自分の考えを押し付ける人たち。一括りにするのはよくないと分かっているけど、私の中での「大人」はそういう人たちのこと。そうなりたくないからその前に死にたい。これが昔から漠然と持っている死にたいの理由なんだと思う。
そういえば、死にたい気持ちのことを希死念慮と呼ぶようだけど、私の死にたいはそんな洒落た四字熟語の、かっこいいものじゃない気がするから、私はただ「死にたい」と言う。多分文法的には間違っているけど、死にたいを名詞としても使う。
死にたいがより具体的になったのは、うつ病になってから。「今」死にたいと思うようになって、方法を調べてシミュレーションするようになった。今なら死ねるかも、と大学のトイレで衝動的に首を吊ったこともある。頭がぼうっとしていて、とにかく今の苦しみから解放されたい、という考えだけがあった。全然ちゃんと計画していなかったから、荷物を掛ける用のフックで吊って、どのくらいの時間が経っていたのか知るすべもないが意識が飛んで、気づいたらフックが折れて私は床に落ちていた。その時はショックというか、衝動的にやってしまったことに驚いた。今思うと、予めフックの耐久性を確認しないでやったのは本当にバカだったと思う。遺書は書いてあったけど、家も研究室のデスクも散らかったままだったし、人間関係の整理もなにもしていなかったし、事後処理をすることになる人たちの手間のことも全く考えていなかった。それでもし成功していたら、あるいは後遺症が残っていたら、どうすもりだったのか。後悔、反省している。
それから、ちゃんと死にたいについて考えようと思った。死にたい理由と、死ねない理由を。もともと自分のことは嫌いだったけど、うつになってから、さらにずっと嫌いになった。生きている限り嫌いな自分がつきまとってくるから、死にたい。そう思うようになったから、死にたいが具体的になったのだと思う。でも、未遂はあの時以来はしていない。できていない。なんで死ねないのか。生きたいのだろうか。生きたくはない。死のうとできなくなったのには、理由があるはずだ。多分あの時失敗して、自分の衝動と無計画を後悔して、リミッターができてしまったのだと思う。残される人に辛い思いをさせることになる、とか、所属先がある状態で自殺したらいろいろと迷惑がかかる、とか、考えるようになってしまった。特に祖母のことを考えてしまう。祖母にとって、私はおそらく生きがいの中の結構な割合をしめているだろう。もし私が今死んだら、後を追うかもしれない。ショックで寿命が縮まるかもしれない。おそらく私より残された寿命が少ないであろう祖母の寿命を縮めるのは、申し訳ない。だから今は、祖母が生きている間は死なないようにしようと思っている。ちゃんと計画を立てて、場所を選んで、方法をあらかじめ検証して、衝動に頭を占拠させれば、今からでも死ぬことはできるだろう。でもしないようにする。
期限を決めたから、それまでに死なない理由、あるいは生きる理由、未練などが見つからなかったら死のうと思う。そういうものが見つかっていない状態でただただ生きるのは苦痛だ。いつか見つかる、なんて気休めでしかない。死ぬのは怖くないと思う。痛くても苦しくても、死んだら終わるから。そのときにはちゃんと準備をして、一発で成功できたらいいな。
ただ多分、生きる理由を見つけられた方が、寿命まで生きられた方が、よいのだろうとも思っている。死ぬのが怖い人が大半の世の中を変えることなんてできないし、その世の中では寿命まで生きている方がよいとされていることもわかっている。死にたくない人にとっては、死別は苦しいことだろう。私の中から死にたいが消えることはないと思うから、消そうとするんじゃなくてうまくいなすことを身に着けて、期限を待つ。今は執行猶予の身だと思っている。期限が来る前に、なにか生きる理由が見つかったら、その都度延長する、それでいいのかもしれない。それがいいのかもしれない。
おわり