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ゴキブリが家に不法侵入してくるのではなく、人間が森に不法侵入してる説

世界はなぜ弱肉強食なのだろう。

自分が生きたければ何匹もの命を奪い続けなければならない。ただ生きたいだけなのに、他の生物を死に追いやらねばならない。命をいただくことができない生物は死ぬ。

どうして死ぬ命があるのか。どうして誰かが死ななければ生きていけないのか。生は死の上に成り立っている。殺されるために生まれる命なんて、あっていいはずがないのに。


どうして生きるために殺すのか……それは分からないし、無理に結論づけたところで説得力もない。しかしせめてもっと、生き物に対して敬意と慈愛の心を持つことはできないものか。

神様も意地悪なものだ。どうしても殺さなければいけない命があるなら、そこに命などなければいいのに。なんで殺さなくてはならない存在に命があるのだろう。

しかし本当に、「殺すべき命」や「殺していい命」などあるのか? 私たちは全員で、何かひどい過ちを犯しているのではないのか?

人は命が大切だと言う。私たちはそれとどう折り合いを付ければ良いのだろう。



ゴキブリは家に勝手に入ってくる。家を汚す。だから嫌われる。
その話を聞いたとき、私は思考の迷路にハマった。

個人的に「外見で生物を嫌う」のは人種差別やいじめと同じだと思っている。美しいだの醜いだの、そんな言葉は消えて、いつかすべての差別がなくなるべきだ。

ゴキブリは外見で嫌われている。
しかしゴキブリは醜い……だけでなく不潔。勝手に家に入ってくる。しかもおぞましいスピードで増える。だから殺さなくてはならない……らしい。

ゴキブリが殺されるのは、見た目だけが理由ではないというか、元々衛生的に問題がある衛生害虫だからである。
最近では衛生云々の前に外見が苦手という話も多くなっているけれど、これは理由がすり替わっているのでは。

でも益虫と言われるアシダカグモやゲジも外見が原因で不快害虫とされているし、やはり見た目で嫌われることも大きいのかも。

元々一部の虫のイメージが悪いせいで、すべての虫への不信感が蔓延しているということもあるかもしれない。アシダカグモやゲジも、いかにも噛んだり毒があったりしそうな危険生物に見える。本当は、アシダカグモやゲジはゴキブリを食べる益虫というだけで、噛みつくなどの害はなく清潔らしい。


と、ここでゴキブリの話に戻る。


ゴキブリの言い分を考えてみる。
そもそもなぜゴキブリは家の中に入ってくるんだろう。人間に嫌われているから家に入れば殺されるというのに、学習しないのだろうか。

外にはカマキリの幼虫もシジミチョウもマイマイカブリもシデムシもシリアゲムシもいるのに、誰も家に入ってこない。ゴキブリだけが入ってくる。

いや、ハエトリグモも入ってくるなぁ。あれはゴキブリを追いかけて人家に入るようになったということなんだろうか。じゃあそもそもゴキブリのせいだ。なぜ家に入るんだ。


でも、「なぜゴキブリは人の家に勝手に入るのか?」というそもそもの問いに、私はどうもモヤついた。

ここは私の家。私の場所。本当にそうなのか?
それは誰が決めたんだ?

人間は、すべてが人類のために整えられた(整えられるべき)世界であるように決めつけ、人間中心に意見を述べ、人類にとっての「世界平和」を祈り、「ウイルスが消えますように」などと神様に願う。

しかし「ゴキブリやウイルスが消えますように」の前に、なぜそもそもゴキブリやウイルスが存在するんだろう?
世界が人類のためのものなら、最初からどっちも存在しなければいい話だ。ゴキブリやウイルスは人類のために消えるべきなのか?


存在するということは存在する意味があるのではないか。存在のあるものを、勝手な判断で消していいのか? 消す権利はあるのか?

ゴキブリやウイルスを作ったのは神様ではないのか。
神様は人間のために世界を作ったのか。
ゴキブリやウイルスは悪魔なのか。
逆に私たちは悪魔ではないのか。
地球の生物はなんでみんな食い合っているんだろう。
一体世界は誰のためにあるんだろう。

神(地球)は誰の味方なんだろう?


ここで一つ思い出す。
ゴキブリは何も悪くない。大都会も普通の住宅街も、いつかは森や草原であったはずだ。それを私たちは他の生物の許可なく壊し、大気を汚染し、海を汚染し、アスファルトと建物で地面を多い、森や草むらにゴミを投げ捨てた。そして人類は世界中で繁殖した。

……あれ?
勝手に多くの生物の家(住みか)に侵入し、破壊し、汚染し、恐るべき繁殖力で世界のすべてを飲み込もうとする生物って……

……人間じゃん。


そうか、分かったぞ!

ゴキブリは太古からあまり姿を変えず存在してきた「生きた化石」。そして元々(今でも多くのゴキブリは)森で静かに暮らす分解者。つまりゴキブリは森の象徴、森の使者である。

そう、ゴキブリは全生物を代表し、我々人類にメッセージを伝えているのだ。

「あなた方が先に、多くの生物が暮らす家(森)に勝手に侵入し、森を汚染し、潰し、多くの生物を死に追いやり、凄まじい繁殖力で世界を埋め尽くそうとした。我々は鏡となり、人類の傲慢さを見せているのだ」と……!


なんということだ。ゴキブリとはまるでナウシカの王蟲みたいな気高き生き物ではないか。彼らは使者として自分たちを嫌われ役の汚れ役に落とした。毒餌を仕掛けられ、スプレーを吹きつけられ、叩きのめされても、絶対に家屋に侵入することをやめない。すべては人類に森の声を伝えるために……!



私はこの発見に打ち震えた。ゴキブリを崇めたくなった。自然界の代弁者であるゴキブリは、他の生物からもさぞかし崇拝されていることだろう。


……。

しかし。


ゴキブリが選ばれし生物なら、すべての生物がゴキブリの前にひざまずくはずである。
なのに多くの生物はゴキブリを平気で捕食する。アシダカグモは特に好んでゴキブリを捕食するとか。
その上ゴキブリのみを狙い、生きたまま食らう寄生虫も存在するという。(エメラルドゴキブリバチがすごい)

ゴキブリ、別に尊敬されていないじゃん。昆虫、蜘蛛、鳥や爬虫類など幅広い層から捕食される餌じゃん。なんだ、森の王じゃないんかいっ。



もういいや、地球のことはよく分からない。
生物はどれも似たり寄ったりだ。誰もが他者の命を奪わねば生きていけない。

私は自分の主観で勝手に誰かを殺し、日常を守ろうとする。「殺した命より価値のある」何かを見つけようとする。
偏見でコーティングされた目で、命をいただいた手で……。
今日も新たな命をいただきながら、「生きる意味」を求めて右往左往するのだ。


ただ、ゴキブリが神の使いじゃなかったとしても、未だに残る真実が一つ。

人間はゴキブリ以上にゴキブリである。
「ゴキブリが勝手に家に入ってくる」のではなく、人間が勝手に世界のすべての持ち主だと思い込み、地球を汚染したのである。

「ここは私の家」だなんて、誰が決めたのか。誰に決める権利があるのか。虫が入ってくるのは、ここが誰のものでもない証拠ではないか?

いや、そもそもここは虫の住みかであり、私たちは虫に「ここに家を建てて良いですか」と確認もせず住みかを奪ったのだ。


誰かに対して行ったことはいつか自分に返るのかもしれない。

人類はSFの世界みたいに、自分たちで汚染した地球に耐えきれなくなり……。
毒餌を食べ、毒スプレーを吹きかけられたゴキブリの群れみたいな最期を迎えるのかもしれない。



↓風呂場カビが人類に逆襲する話を書きました。


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月澄狸
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