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ただ一つのものがなくなった時 そこに美しい言葉が残った

星野富弘さんの作品の言葉。


ただ一つのものから
ただ一つのものがなくなった時 
そこに美しい言葉が残った

ニュージーランドの空の下で

『富弘美術館』初訪問

2024年の日本滞在中に、群馬県みどり市の『富弘美術館』を初めて訪れました。

『富弘美術館』は1991年に開館しました。僕は『富弘美術館』がある群馬県出身で、僕がニュージーランドに移住したのは1999年。訪問の機会はあったはずなのに、今回の滞在で初めて訪問しました。

母校と部活が同じ

星野さんは群馬県桐生高校の出身で、僕の母校でもあります。そして、星野さんが所属していた桐生高校体操部に僕も入っていました。14歳の年齢差があるので直接の交流はありませんでしたが、高校と部活の重なりに不思議なご縁を感じます。さらに、星野さんは、中学校の教員、僕は群馬県の高校の教員でした。

感動

美術館で目にした星野さんの作品。筆を口に加えて生み出された文字と絵。『愛、深き縁より』やその他の書籍を通して以前から作品に触れてはいました。しかし、数十センチの距離で作品を見た時、その一文字一文字、線の一つ一つに、純度の高い愛と深い祈りを感じ、その場に立ち尽くし、涙が流れました。

僕はシンガー・作詞家でもありますが、星野さんの作品を直接感じたこの経験を通して、一つ一つの音や言葉に心を込めて歌い、作詞をしていきたいという思いがさらに強くなりました。

星野さんの作品が残してくれた美しい言葉と絵。
ご縁に感謝しながら、自分の表現活動に磨きをかけていきます。

星野富弘さん
昭和21(1946)年4月、勢多郡東村(現みどり市)に生まれる。

昭和45(1970)年3月、群馬大学教育学部保健体育学科を卒業し、同年4月に高崎市立倉賀野中学校へ体育教師として奉職した。

同年6月、クラブ活動指導中の不慮の事故により頚(けい)髄を損傷し、手足の自由を失うという障害を負うが、その後の9年間にわたる闘病生活の中から、家族の献身的な介護と協力の下、口に筆をくわえて詩画を描くという才能を開花させた。

苦境にあっても不断の努力を積み重ね、詩画という新分野を切り開き、独自の画法を会得し、永年優れた詩画の創作活動を続け、その作品は多くの人々に生命の尊さを伝え、深い感動と生きる勇気を与え続けている。

昭和56(1981)年、群馬県文学賞随筆部門で「愛、深き淵より。」が受賞作品に選ばれ、その評価は、「詩と画に生きる喜びを見出していく過程を記した作品として、それ自身感動的で真実を描く文字の迫力は、こしらえものでない、まさしく文学にまで昇華した作品」とされた。この「愛、深き淵より。」を始めとする随筆集などの出版により、その優れた詩画作品は全国的な反響を呼んでいる。

また、昭和57(1982)年、高崎市での「花の詩画展」開催を契機に、これまでに全国各都市で180回を超える詩画展が開催され、入場者は延べ300万人を超え、広く日本中の人たちに深い感動を与えている。

海外では平成3(1991)年にブラジル各都市、平成6(1994)年にニューヨーク、平成9(1997)年、12(2000)年にハワイ、平成13(2001)年にサンフランシスコ、ロサンゼルスなどで開催され、大きな反響とともに大きな感動を与えた。

さらに、平成3(1991)年、豊かな自然に囲まれた生まれ故郷の勢多郡東村に村立「富弘美術館」が開館し、平成18(2006)年4月までの間に全国各地から500万人余りの人々が訪れ、その珠玉のような作品は、多くの人々に感銘を与えている。この美術館は、地域からの文化の発信にも多大な貢献をし、地域の発展にも寄与している。

https://www.pref.gunma.jp/page/1007.html

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