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【ここに来るまで】 1998-1999年 転勤、永住権取得、そして高校教員退職

【ここに来るまで】シリーズ
このシリーズでは、公立高校の英語教員だった僕が、日本語教育と出会い、ニュージーランドの大学教員トップ10の一人として表彰されるまでの歩みを書いていきます。

こういう展開になるとは、夢にも思っていませんでした。 この記事がほんの少しでもあなたのお役に立てますように。

🌈 約2年のニュージーランド派遣から帰国し、同じ高校に2年勤務後、転勤

新採用教員として同一校に通算7年(REXプログラムによる海外赴任のための置籍2年を含む)勤務したので、同じ市内の男子高校に転勤となりました。

ニュージーランドに派遣された時の記事はこちら

この高校は県内で有数の進学校で、生徒の学習意欲が高く、とても教えがいがあり、英語教員として大きなやりがいを感じる環境でした。

🌈 永住権の取得

しかし、幸運にもニュージーランドの永住権を取得できたので、1年で退職をしました。

ニュージーランドの永住権取得には学歴や職歴、年齢などが考慮され審査されます。申請手続きは知り合いのニュージーランドの弁護士にしてもらっていましたが、当時の申請手続きは香港にあるニュージーランド大使館経由で行われていて、このプロセスに時間と労力がかかりました。

永住権の取得審査基準はしばしば変更があるため、タイミングによっては同じポイント数であっても永住権が取得できないこともありえました。ですから、取得できたのはとても運が良かったと思います。

🌈 公立高校の教員退職

安定した公立高校の教員を退職するのは大きな決断でした。公立高校の教員を一度退職してしまうと、いつか再び教員になりたい時には教員採用試験を再度受ける必要があります。

しかも、先に仕事が見つかっての退職ではなく、初めにニュージーランドへの移住ありきという退職だったので、今さらながら自分の決断と行動に驚きます。まあ、それだけニュージーランドのライフスタイルと子供を育てる環境が気に入ったのだと思います。

🌈 「先生」から定職なしの中年のおじさんへ

3月31日付で退職し、当然のことながら次の日から突然「先生」でなくなり、妻と3歳の子供がいるのに定職も収入もない中年のおじさん状態が突然始まりました。

退職がもたらす自分の心理状態の変化まで考えていなかったので、突然不安になったのを覚えています。よりどころがない宙ぶらりんで漂っている感じでした。

振り返ってみると、この「何者でもない」という感覚は、「ありのまま」の自分を意識する上でとても重要なものになったと思います。「教員」という仕事が自分のアイデンティティの大きな部分を占めていたことに気がつくきっかけとなったのです。そして、「教員」というアイデンティティが消滅したことで、夫であること、父親であることなど、そして「自分」というアイデンティティが浮かび上がってきました。

この経験は僕にとって「体験の真理」となり、ありのままへの目覚めにつながっていたと感じています。

つづく

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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