【ここに来るまで】1989-1994年 公立高校の英語教諭として最初の5年
🌈 【ここに来るまで】シリーズ
このシリーズでは、公立高校の英語教員だった僕が、日本語教育と出会い、ニュージーランドの大学教員トップ10の一人として表彰されるまでの歩みを書いていきます。(教員になった当時はこんな展開になるとは夢にも思わなかったんですよね)
今回は教員採用試験から初任校での5年目までの経験についてです。(その後で、日本語教師として2年間ニュージーランドに派遣されることになります。)
🌈 時差ボケに悩まされながら教員採用試験の準備
教員採用試験は、1年間の英国留学からの帰国後1ヶ月が過ぎた頃でした。時差ボケに悩まされながら採用試験の準備をしていましたから、試験にパスし、採用されたのは本当に幸運でした。
🌈 教員としての明確な志、理念やビジョンがなかった
英語が好きでしたし、英語を教えることで生徒の世界と可能性を広げる手伝いをしたいという漠然とした願いはありました。
しかし、教員としての明確な志、理念やビジョンを持っていたわけでもなく、教育への情熱に溢れていたわけではなく、今振り返るとあまりにも未熟で赤面するほどです。
🌈 恵まれていた初任校時代
初めに赴任したのは群馬県内有数の進学校の女子高校で、向学心があり優しい生徒たちに恵まれました。同僚の先生方はとても寛容で、僕のやりたいようにやらせてくれました。
生徒に支えられ、教えられることばかり、そして生徒の皆さんのおかげで教師として成長できたと気づいたのはかなり後になってからです。
この時の経験が教員としての土台となっていると感じることが多く、当時の生徒の皆さんのことを思い出しては感謝しています。
🌈 国際交流関係のいろいろな経験
県のモデル事業として社会人対象の英会話講座の講師、日本ユネスコの小中高校生を対象にした海外研修プログラム(ロンドン、パリ、ローマ)の引率をしたり、国際交流面でも様々な貴重な経験をすることができました。
また、国際協力事業団の「21世紀のための友情計画」の地方プログラムの運営に関わる機会がありました。そのおかげで、ミャンマー、韓国、ニュージーランドからの参加者が、僕の家にホームステイすることもあり、「同じ釜の飯を食う」ことの大切さも学びました。
🌈 ニュージーランドの大学教員トップ10のひとりに選ばれる礎の経験
日本の高校の教員として約10年、ニュージーランドの高校の教員として10年、そして現在は大学で12年目を迎えています。
教員になった頃は、教員という仕事の素晴らしさに気がついていませんでした。地道に続けることで確立してきたこと、見えてきたものがあり、とてもやりがいのある仕事だと心から思っています。そして、最初の経験は、インパクトが大きいなぁとも思っています。
🌈 教師のウェルビーイング
初任校での5年間は充実していましたが、精神的にも時間的にも消耗していたと思います。
日本とニュージーランドの両国での教員経験を通して、素晴らしい教育実践のためには、教師自身がウェルビーイングであることが大切だと思うようになりました。
教師が幸せを感じていなかったら、それは向き合う学習者に伝わっていきます。教師がウェルビーイングについての理解を深め、自分のウェルビーイングを育む。そのための活動も少しずつしていきたいと思っています。(このことは別の記事で書きたいと思います)
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