日本美適進化論:精神性と事業のバランス
例えば、相手のために最善を尽くそうと努力したときに、「実はこれ…相手のためと言いながら、自分のためじゃないの?」と、いかにも自分のためではいけないのだと背徳感(罪悪感)を感じる女性たちの声を耳にすることがあります。世の中の経済は価値の交換で回るので、最終的にどちらかだけが得をしたり損をしたりしてはバランスが崩れる構造を、特に女性は学ぶべきだと感じます。そしてここにも自分自身の事は後回しと譲り合う、日本独特の精神性もあるのではないでしょうか。海外でアニメが流行るだいぶ前に、「おしん」というTVドラマが色んな国で放映され、その内容は奉仕の精神や、それを極める鍛錬の姿が日本人の「美学」という世界観として伝わっています。
事実、そのような精神性は日本のいたるところにあり、サービスのすみずみまで謙虚さや心遣いの「おもてなし」に溢れています。企業努力としても徹底的にCS/ES・CEMエンゲージメントを磨きぬき、付加価値を追い求めることで収益化を期待する流れには終わりがありません。世界に誇るべき日本人の「心」と表現の豊かさは、世界中から揺るぎのない信頼感を持たれる根拠になっていますね。しかし事業に於いての精神性の追求は、ひと昔ほど重要ではなくなっていると感じます。その理由は、一定のレベルで洗練され定着していることと、さらにネット時代はおもてなしの精神によって契約に繋がることや、商品購入へのキッカケとなることは少し難しくなってきている現状も垣間見えます。それよりも対等な心地よさ、誠実な姿勢や分かりやすい説明力、共有する時間を構成するリーダーシップやマネジメント等の能力がスマートです。社会人としてのマナーやおもてなし教育が徹底されることで、お客様に誠心誠意尽くしながら、契約を取り付けたいという「見返りの気持ち」の矛盾が罪悪感につながり、美しいとされている奉仕の気持ちと経済活動とのはざまで苦しむ現状が放置されてきた答えが、やっと導きだされつつあります。
常々お伝えしていますが、公務や医療・介護や教育現場など、人の生命活動の維持や成長を促す根源的な仕事には、見返りを求めない精神性や心からの「おもてなし」が必要ですが、価値と価値を交換する事業に於いては、過剰な気遣いやおもてなしには独特の負荷がかかります。例えば日本特有の「接待」や「忖度」もその一例です。得意先への接待文化は、特に若い世代には苦痛以外の何ものでもありませんし、一部、接待での女性社員の扱われ方についても、グローバルな社会性とかけ離れています。また接待を受ける側も取引を期待されることによって正当な評価を歪め、純粋な推進力としての可能性を狭めてしまうことに繋がるかもしれません。コロナによってその文化が違う形に変化しているようですが、独特のコミュニケーションによって企業や人の「実力」が正しく評価されないことがあるとすれば、それも健全な競争力が育ちにくい背景になっているのかも知れません。まさに社会に於いても経済優位の男性性と精神性を重んじる女性性がせめぎ合う時代。どちらも過剰さを主張し合うことで、本質が隠されるVUCAの実態。その健全なバランスを見極める視点を持つことが重要だと感じています。