悪い忖度
最近思うこと。
「悪い忖度」は忖度し合える人たちがいて、はじめて成り立つ。お互い守ったり守られたりなどの貸し借りが発生して、「しがらみ」がどんどん強くなる。そういうのが好きな人たちにとって忖度し合える仲間が増えることは喜ばしいこと。
忖度し合うことで生まれる安心感と一体感は人に大きな自信や優越感を与え、自分が正義のヒーローにすらなったように錯覚させる。その錯覚はときに罪悪の意識さえも感じなくさせるのだ。
しかし、そこに忖度しない人が出てくると、積み重ねてきた忖度は一瞬で意味のないものになり、忖度した自分の身が危うくなっていく。忖度している人たちは、自分が忖度したら相手も必ず忖度してくれると思いがちだが、多様性ある社会ではそんな発想は通用しない。
何か行動を起こす時の大義とか信条とか倫理観って大事だなと思う。やはり健全かつ潔白でないと。
そう考えると今社会問題になっている「いじめ」「虐待」「汚職」「隠蔽」などもそもそもは「悪い忖度」から生まれるものなのかもしれないですね。
因みに「忖度」の意味とは「他人の心を推し量ること」。平安時代から使われているこの言葉は純粋に『人の心・気持ちを推測する』という思いやりを指す意味しかなかったそうです。