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成人の日から「いつ結婚するのか」と聞かれ「35歳」と答え続けた結果、それ以上の年齢になることを想像していなかった
1984年、昭和59年生まれだから、一応私は”昭和”の人なのだろうか。
生まれは昭和でも、自我が形成される年齢には平成になっていた。
そして、私の母は(あの時代にしては)珍しく4大を出ていて、上野千鶴子さんの書籍が本棚に並ぶ家で育った。だから、20歳の誕生日を目前に控えた成人式の日の振り袖姿を父方の祖母に見せたら、祝いの言葉もなしに「それで、結婚はいつだ」と聞かれて、だいぶ面食らった。
面食らったついでに怒りに似た感情が湧いてきたので、密かな抵抗として「35歳」とだけ答えた。
祖母はこれが気に入らなかったらしく、そのあとも親戚が集まる年末年始などでは「この子は35歳まで結婚しないんだって。そんなこと言っている間に、結婚できなくなる」と言いふらした。
※夏に亡くなった、慕っていた祖母は母方の祖母です。
こちらは父方の祖母。まじで価値観合わない。
だから私は、祖母への反抗心から、どれだけ聞かれても「結婚は、するかしないかもわかりません。するにしても、35歳以降です」と答え続けた。
だからだろうか。自分が35歳を超えたあたりから、急に人生に迷いだした。35歳以上になる自分を考えられていなかったように思う。祖母の呪いがなくとも、35歳以上の自分なぞを想像していなかったのかもしれないけれど、私にとって35歳は「ここまではがむしゃらに自分を生きる時期」だと思っていた。そして、そのあとは…?
祖母に「35歳で結婚する」と言っていたからなのか、急に「家族」の存在が大きくなった。それまでは会社員、妻、母、娘などの属性をできるだけ排除して、「いかに”私”として生きるか」と考えてばかりいたのに。
いや、祖母のせいにしているだけで、そろそろ自分の限界やら現実やらが冷静に見えるようになるお年頃だからだったのかもしれない。
とにかく、大変に迷いに迷った時期、それが35歳~今までだった。
もうすぐ40歳になろうという昨年(2024年)2月に、地元の行きつけの本屋で雨宮まみさんの『40歳がくる!』と出会った。
積読で溺れ死ねるくらいの積読ヤロウである私は、この本も積読の1冊に加え、熟成させ、2024年が終わるタイミングで読みだした。
読みだすと止まらなかった。
こんなに勢いよく読み終えられるなら、買った時点でも読めそうなものを。
でもたぶん、年越しをこの本と一緒にしたのは、私にとってこの本は”今”こそ読むべき本だったんだと思う。
「こじらせ女子」の言葉の生みの親、それが雨宮まみさん、という認識しかなかった。全然雨宮さんのことを知らなかった私は、衝撃を受けた。
「こじらせ女子」って言葉は、必死に自我と向き合いながら、世間からの面倒な期待とか価値観とか(それは祖母からの”いつ結婚するんだ”という圧力のようなものも含む)とバランスを取ろうとして、もがいている女性を軽んじているようで、私は嫌いだった。
でも、雨宮さんご自身も、そのようなニュアンスにとられかねない「こじらせ女子」という言葉に危機感を持っていたこともわかり、一気に彼女のファンになった。
V字に開いたドレスから見える背中が、素敵なものに見えていてくれたらいい。いや、素敵じゃなくても、見せるような綺麗な背中じゃなくても、なんか楽しそうな人に見えてくれたらいい。年上の人たちが楽しそうなだけで、年下の人間が希望が持てるのだから。
40歳に、私もなった。これから、どうやって生きていこうかな。と考えたときに、ここ数年必ず脳裏に浮かぶのは「娘たちの世代が大人になったとき、もっといい世の中を残したい」という想いだ。
だからこそ、私が。楽しそうにしよう。そうだ、それでいいんだ。きっと。
迷っていても、迷える幸せを、噛み締めて、楽しもう。
だから、私の2025年の目標は、雨宮さんの言葉を借りると、こうだ。
嘘をつくのはやめよう。対外的にいい顔をするのはやめよう。できもしないことを、無理してできるふりをするのもやめよう。今年だけでもいい、嫌なことは嫌だと、できないことはできないと言おう。
私は、私の人生を生きる。(略)私は、私のしたいことをする。私は、自分の書きたいことを書く。そして私は、なりたい私に、本来そうであった生身の私になるのだ、と思った。
おりしも、2025年になった瞬間、だいぶ酔っぱらいながら、私はスケジュール帳にこう書いていた。
「やりたいことを、できるだけやる」。
おととしから、少しずつ自分の中にあった蓋を外しだしている。
「教育費は、娘のもの」と思っていたけれど、自分にも投資するようになった。
「娘が小さいうちは、一人で旅行なんて」と思っていたけれど、友達と旅行に行きだした。2024年は1人で寺修行にも行った。
「仕事とプライベートのバランスを優先するなら、仕事内容とか処遇とか、目をつぶらなきゃね」と思っていたけれど、両方とも追及するためにもがきだした。
今年も、たくさん蓋を開けよう。
とりあえず「7月14日は革命記念日のフランスにいく」は必ず達成したい。転職したて? でもそんなの関係ねぇ!
やりたいことを、やるぞ。そして、そんな背中を、娘たちに見せるのだ。