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フラットと、こだわりを両立させたい

CORECOLORでの佐藤友美(さとゆみ)さんの連載「さとゆみの今日もコレカラ」受けを、仲間たちと始めたはずが、いつの間にかとんずらしていた。今日からゆるりと始めるぞ…と思って過ごす毎日。今日こそ…と一生懸命、鉛のように重くなってしまった腰を上げた次第。

毎日やることの意味は、ストップして初めて噛み締められる。
一度ストップすると、続けるハードルが上がる(サボるという前例を作ったため、怖くない)。さらに、書くスピードも驚くほど遅くなる。

以前だったらこの状況を「なんて私はダメなんだ」と思ってしまっていたところ。しかし、今の私は一味違う。
なぜなら、『コテンラジオ』の『歴史思考』と出会ってしまったから。ようは「今の状況を、短い時間軸で判断しない」という思考回路だ。

1か月ほど、とにかく仕事して、毎日の生活をするということだけしかできなかったけれど、それもそれでいいんだ。それがどんな風な影響を与えるか、悪いか良いかもわからない。どの時間軸で切り取るか、どの視点から見るかによって違うよね、という俯瞰してみる私がいる。
それがいいのかどうかも、わからない。

「そういうことがあったんだな」と、フラットに見ることができるようになり、だいぶ見える世界が変わった。フラットに見るっていうのかな。ジャッジしないで見ることができるようになったという感じかな。

私はこれまで、すごく狭い価値観の中でジャッジしてしまっていた。私のつまらないこだわりなんて、どっちでもいいや、と思えるようになって、世界が広がっているのを感じる。一方で、信念を持って細部までこだわる人に対して尊敬の念をより抱くようになってもいる。

「そこに、自分がいる価値」をしっかりきっちり歴史に傷跡を付けようとしているように思えて、すごいなと畏れさえ感じる。それこそが、プロなんだろう。

こだわりやバイアスから私は少しずつ解放されていっている気がするけれど、それだけだと、ただの「ゆるい人」だ。「ゆるい」を「プロフェッショナル」に変えるのが、細部へのこだわり、信念なのだろうと思います。

インタビュー中も一番フィットする言葉に何回か言い換えるシーンがあった方なので、この「かれら」も、こだわりがあってのことだろうと思う。メディアとしての表記統一はあえてしなかった。たしかに「彼ら」と「かれら」では受ける印象が全然違う。

言葉を大切に使う人たちのそばにいられる時間は、とても豊かで幸せです。そういう人たちに取り扱われた言葉たちは、幸せそうに整列しているなと思う。

作るとつくる【さとゆみの今日もコレカラ/第106回】




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