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”mon journal de paris私のパリ日記1993"
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1993年3月語学留学のために単身パリへ旅立ちました。語学留学といっても語学を専門に勉強するためではなく、長期でパリに滞在する方法がそれしかなかったから。学生であれば奨学金など利用して留学という方法があるのでしょう。しかし私はすでに30歳手前。東京でイラストレーターの仕事をしていました。2年くらいかけて情報収集し貯金をし、留学準備を重ね、現地の学校への手続きもすべて自分でやったので、いわば自己流の留学でした。アパートも現地に着いてしばらくはホテルに滞在し探す予定でしたが、運良く出発直前に知り合いの方に紹介してもらったので幸運でした。住むことになったのはパリ郊外の「Charenton-le pont」。メトロが通っているのでパリ中心部の学校へのアクセスも良いところです。
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すでに帰国されていた日本人所有のこのアパートは、パリに長く住んでいるYさんが代わりに管理されていました。お忙しいYさんもこの部屋を貸すことをお仕事にはしていないので、あまり乗り気でない雰囲気で、引き渡し後、あとはご自由にという感じ。しばらく人が住んでいなかったこのアパートの掃除から一人で始めることになりました。家具や食器付き、古い冷蔵庫や洗濯機まで昔のままに置いてある。電気と水、ガスはある。電話やテレビ、ラジオもない。ましてやインターネットもない時代。本当に孤独。不安でいっぱいの日々のはじまりだった。
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