じぶんとつながって
昨日の続き。
ありえない方法で創る、
台本も筋書きもない舞台。
安心安全の場づくりがなされて、
たった2か月前に、それは始まった。
それぞれがじぶんとつながって創りあげた歌、舞、演奏、絵、映像、言の葉、さまざまな表現たち。
あなた=わたし=せかいであるならば、
わたしたちはひとつつながり。
ひとつの中でいろんな色が見える。
一見、不調和なことも起こる。
それも、
必要がある人には見えて、
必要のないことは見えない。
創りあげる過程で、それぞれが感じる
今まで見てこなかった、じぶんの中の自分。
じぶんとどれだけつながれているか、
じぶんをどれだけ観ているか
その度合いがそのまま出る。
どちらが良い悪い、優劣ではない。
ずっと、じぶんから目をそむけつづけてきたと感じた。苦しかった。
やってきたはずなのに。
じぶんを観る、のは、ただ観るということ。
ここは観たくない、というところも等しく、ただ、ただ観ること。
じぶんが観るものは、じぶんしかない。
頭ではさんざんわかっていたはずだけど、
どれほどじぶんを観ていないのか突きつけられる。
参加していたメンバーには、
じぶんとつながる達人、じぶんを観る強者がたくさんいた。
うらやましい。あんな風に出してみたい。
強く、つながりたい。
わたしはいつも、まわりを気にして見ていて、じぶんを観ることがなかなかできていなかった。まわりを見て、空いてるところを埋めようとか、何かを統一しようとか、そんなこと考えなくても良かった。そのままで良かった。
ただ、じぶんが心地よくあれば良かったんだな。
わたしはだれかの添え物ではない。
だれかに踊らされるのではなく、
わたしはわたしを踊る。
共鳴し響き合い、
わたしはわたしを歌う。
それを嫌う人がいても、いい。
まだ続く。
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