普通の事務員からアラフィフでアーティストに転身!自分大っ嫌い「私なんか」が口癖の自分責め全開だった私が、金髪、シースルー着て、更には単独ライブまで開催!ファンからキャーキャー言われて、今日も自分最高にイケてるぜって思えることが幸せなナルシストMAMI🌹になるまでの自分ストーリー


【自己紹介】

はじめまして❣️
独自の世界観をもつアーティスト
MAMIです🌹

28年事務員ひとすじからアラフィフで
アーティストに転身!
「私なんて」が口癖で人目を気にして
コソコソしていた私が、
今では金髪、派手なシースルーシャツ、
好きな格好をして、
今日も自分最高にイケてるぜ😎って
思えることが幸せなナルシスト、
MAMIと名乗っております🌹

昭和のカチコチマインドで、
「SNSでただの普通の一般人が
投稿したり、
顔出し、自己開示するなんて
ありえないでしょ‼️
芸能人でもあるまいし‼️
誰得⁉️⁉️」とディスっていた私が、
今や、インスタ発信は、自撮り120%!
みんなの前で歌いたい!という
思いだけで、
新宿のライブハウスを借りて
単独ライブまで開催し、
自分の関わりたい人とだけ関わって、
なりたい自分になっていった
そんな私のストーリーを
書いていくね✨

まずは、簡単に、before、afterを
まとめると🌺


⚫︎家事育児にイライラする
常に自分責めのワーママ
➡︎独自の世界観を持つアーティスト


⚫︎歌はカラオケで楽しめば充分!
ライブは観るものだと思ってた
➡︎一般人なのに、新宿のライブハウスを借りて
生バンドを従えての単独ライブ開催。
満員御礼!!



⚫︎一般人のSNS投稿にいいねが
つくだけで拒否反応示してた
➡︎一般人なのにファンクラブ発足


⚫︎インスタは芸能人のものだと
思ってた
➡︎ 娘のクラスメイト、部活の
顧問の先生から
インスタフォローされる

⚫︎事務OL28年、定年まで働くのが
当たり前、専業主婦なんて有り得ない
➡︎毎日自由気ままな主婦

⚫︎派手にするのは禁止!
イタイ大人になりたくない!と
欲望を抑えるのがデフォルト
➡︎金髪、ギラギラで好きな服を
着ている



⚫︎文句を言いながら
イライラしながら家事をやっていた
➡︎ 専業主婦なのに前より家事してない

⚫︎旦那から「退職したらバイトしろ」と言われ続ける
旦那の発する言葉=私を責める言葉
だと思っていた
➡︎定職収入を得てないのに夫とは
穏かないい関係

こんな感じです🌹

今でこそ、ファンクラブまで
作っちゃって、こんな自分全開で
生きてるけど
数年前の私は、、

自分嫌いすぎて人間不信、
仕事も育児も
人生どん底期だった。

【王様タイプ全開だった幼少期】

一人っ子で、自営業の両親の間で育った私は、
天真爛漫、活発な子供だった。

お調子者で目立ちたがり屋で、
先生が「これやりたい人ー?」って
言ったら、「ハーイっ‼️」と
一番に手を挙げるような
前に出たがりな子。

いつも母から、
「まみはすぐに調子に
乗るんだから
💢

「たまにはちょっと遠慮しなさい」
って言われてた。

「だったら、一番に手を上げて、
やりたい!って言えばいいじゃん!」
って言い返すような、
なかなか強気な子供だった。

それが、中学に入ると、
思春期で人目が気になってきて。

「○○ちゃんがまみちゃんのこと
出しゃばりだって言ってたよ」とか
人づての悪口とか耳に入ると、
気にするようになっていた。

中学時代、友達が全くできないと
いう、時期があった。
これはマズイ‼️
と焦った私は、
すでに仲良しグループが
できていた友達に話しかけまくり、
なんとかそのグループに入れて
もらえるように頑張っていた。

でも、、全然うまくいかないし、
そんなことやってる自分が
どんどん嫌いになった。
大して興味もないアニメの話に
耳を傾けては相槌を打ち、
イラストが趣味の友達の輪に
入ってみては、ヘタクソすぎる
私の絵を披露して笑われ、、

無理に友達なんていらないや、、
もう疲れた、、
そう思っていたら、気づけば、
仲良しな友達が1人、2人と
でき始めた。
友達が欲しい!
友達作らなきゃ!!って
執着してる時ってホントに
手に入らない。

【自分を抑え込んでお局様に
いじめられ続けた10年間】

高校を卒業して建設系の会社に就職し、
事務員として働き始めた。

新入社員として、見るもの全てが
初めてで、
教えられることを
全部覚えようと頑張っていた。

出社して、まず、お茶くみから始まる。
湯呑がみんな決まってて、
砂糖なしの人、ミルクだけの人、
好みと湯呑みを覚えて、
朝イチと午後3時の2回、社員全員に
お茶出しする。

男性8割のザ・昭和体質の職場だった。

元々リアクションが派手な私は、
周りの男性社員、
特におじさん受けが良く、
新入社員1人だったこともあり、
1年目はみんながチヤホヤしてくれた。

同じ部署にいた20歳年上の
当時40歳くらいのお局様。
新入社員の私をかわいがって
くれたんだけど、2年目から
ちょっとずつ
いじめられるようになった。

1年目は、仕事はもちろん、
上司に対する言葉使い、などなど、
社会人としての礼儀なんかも、
親切に手取り足取り教えてくれた。

それが、2年目に入った頃から、
突き放すような態度をされるように。
ある日、お局様から
「2年目に入ったから、
私の言うことをただ聞いて
その通りにやるんじゃなくて、
自分で考えて、行動していきなさい。
私はもう、いちいち教えないから。」
と言われた。

この頃、お局様によく言われて
いたこと。

「上司が望むタイミングを読んで、
書類を揃えておきなさい。」

「上司に言われる前に、
中間売上金額を出して、
表にまとめておきなさい。」

「上司が二日酔いの時は、例え
普段はコーヒーが好きであっても、
水を出しなさい。」

事務員というか、気遣いができる
秘書的業務?というレベルの
仕事をするよう指示された。


空気を読めとか。
教えられたやり方ではなく、
もっと効率よくできないか、
絶えず考えて行動していきなさい。
とか。

めっちゃ苦手なヤツ、、、

そもそも、当時入れる会社に
入っただけで、
仕事自体に興味がないから
上昇志向もない。

事務員になりたくてなった
わけじゃない。

ずっとそう思いながら仕事をしていた。
と同時に
何のスキルもない私にとって
この会社以外に働く場所はない。
とも思っていた。


本当は、高校卒業したら私、
音楽の専門学校に
行きたかったんだよ。
幼少期からずっと好きだった歌を
やりたい、
歌手になりたいって思ってた。

今みたいにSNSもない時代。
歌で生活していくためには
相当の覚悟が必要。
親に、「歌をやるのに、
すべてを捨てる覚悟はあるのか。」
と聞かれた。

「六畳一間、三食もやしの
貧乏な生活でも耐えられるのか?
それでも歌で生きていきたい!と
本気で思えるのか?」と言われ、、、

それは無理だと思ってしまった。

それまで、食べたいものが食べられて、
着たい服を買ってもらい、
何不自由ない生活をしてきた私に
とって、貧乏な生活ができる
自信がなかった。

将来は安定的に収入が入る仕事
したほうがいいよな。。。
専門学校、探すかな。。。

そう思ったけど、音楽以外に
やりたいことなんてなかった。

親から「やりたいことがないのなら
就職を」
と勧められ、
ハローワークでたまたま見つけた
会社に就職を決めた。
スキルがなくても、安定収入が入り、
通勤も楽だし、という理由で。

それでも、周りの友人達が
みんな大学生になってる中で、
毎月お給料日にお金をもらえる!
私、OL!って、
お金を稼いでいる自分に酔っていた。


1年目は周りの人たちも優しいし、
頑張れるかも!と思ってたけど、
2年目になって、
楽しくないな、、、と
思い始めていた。

お局から「自分で考えなさい」と
言われても
考えたくもないし、
私、空気読めないし。

そう思ってるなら
よくわかんないしーーーー‼️
私にはできなーい‼️
って、貫けばよかった。

でも、20歳くらいの時って
まあできないことも
やればできる!って思っちゃってて、
「そんなことぐらい、気配りくらい、
できます‼️」って
いちいち注意してくるお局に
対抗心を燃やしてた。

本当は気配りとか、先を読んで
行動するとか、
苦手極まりないのに、、、

私なりに頑張っても、
変なタイミングに
お茶出したり。
完全に空回っていた。
そのたびに、「違うから!」って、
お局様から修正された。

↓20代前半の頃。ザ・事務員w

最初はお説教だったのが、
どんどん意地悪に変わっていった。

私に聞こえるように他の女子社員と
私の悪口を言ったり。
PC室に入ると、それまでお局を
中心に集まってた
女性達が全員退出するとか。
お昼休み、女性で集まって
話してて、私が話し始めると
お局が嫌味を言って、
なんか私が話せなくなる。とか。

そんな状況を、おじさんたちが
察知して、
落ち込むなよ。
まみちゃんはまみちゃんらしくいて
大丈夫だよ!
ってジュース買ってきてくれたり、
飲みに連れて行って
くれたりしたんだけど、
それがお局様に見られたりして
裏目に出た。

「若いっていいわね」
「どうせ飲み会で私の悪口でも
言ってたんでしょ」
って、チクリチクリ。

でも、おじさんと話すと楽しいので、
これもまた辞められない。

そのうち、私はお局様の機嫌を
気にしながら
行動するようになった。

「リアクションが大きくて
わざとらしい」
「あなたってなんでも人の言うこと
鵜呑みにするわよね」って、
お局様に言われたことを、
いちいち気にして、
それはダメなことなんだ。
直さなきゃいけないんだって
思い始めていた。

ある日、給湯室でお局と一緒に
なった時に、
「あなたって、思ったことすぐに
顔に出るわよね。」と言われた。
私は直さなきゃ!と思いながらも、
なんで⁉️なんでそんな
仕事に関係ないことまで、
いちいち言われなきゃなんないの⁉️
ムカつく‼️と思ったら、どうやら
それが思いっきり顔に出たみたいで。
「今、私にムッとしたでしょ。
そういうところよ‼️」って、
また怒られた。

お局にわかるくらい、
ムカついている‼️っていうのが
全身から溢れてるんなら
そのまま怒ればいいのに、
ムカついた次の瞬間に
私が思ったのは、
また出ちゃったんだ、、、
ダメな私。。。だった。

それからは、
笑うようにしなきゃ!
抑えよう、抑えよう、
お局は私のためを思って
言ってくれてるんだから、、、
リアクションが大きいのは、
人から見たらわざとらしく映るから
ダメなこと、、
オシャレな服を着たら
目立っちゃうからダメなんだ
と、必死に抑えようとしていた。

出ないように、、、
出ないように、、、
無難に、無難に、、、


そうやって自分を抑え込むこと
ばっかりしてたら、
自分がどうしたいのか、
何が好きなのかが
分からなくなってきて、
どんどん疲弊していった。

ミニスカートを履いていくと、
「綺麗な足ね。
若いっていいわね。
私なんかが履いたら
頭おかしくなったと思われるわよ」

なんでそんなこと言うの?
悲しくなってトイレに駆け込んで
泣いた。
でも、すぐに、すみません、、
って気持ちが出てきて、
私が調子に乗ってるから
ダメなんだ。。って
涙を拭いて仕事に戻った。

そして次の日から
ミニスカートは履かず、
肌見せする量が多いと
お局に言われるのではないか、
怒られないように、、、
言われないように、、と、
どんどん自分を抑えていった。


そんなことをして、気づいたら
10年経っていた。

でも。そんないじめられ続けた
日々は私が産休を取ったことで
終わりを迎えた。

産休復帰後、出社すると、
「久しぶり!待ってたわよ♪」と
普通に優しくなってた。

代わりに私が産休中に入った
派遣社員さんが
いじめのターゲットになっていた。

お局は、あなたもむかつくでしょ?
って私を側近にして、
一緒に派遣さんをいじめようと
していた。

私が散々やられてきたことを
お局様に仕返ししたかったけど、
それは自分的に美しいとは
思えなかったから、
お局の味方に付かない、
側近にならないことで、
私なりにやり返していた。

この人に気に入られなければ!
この人に嫌われてはいけない!と、
ずっと気に入られようと思って
行動してきたけど、1年休んで、
物理的に離れたら、
「この人に気に入られなくても
会社に居られる」と
思えるようになった。

その後、お局様は定年。
お局が退職してから、気が付けば
自分がお局の立場になっていた。
その後は、そこまでディープな
人間関係の悩みはなかったけれど、
自分がお局にされてきたことは
絶対後輩にしてはいけない!と
いう思いにに縛られ、
いい先輩になろうとして、
ひたすらいい人になろうとして
苦しかった。
私はいつまで自分を偽りながら
過ごしていくのだろう。

↑30代後半の私。
楽しいランチ会のはずなのに、
引きつった笑顔。


【自分責め全開の子育て時代に
あさぎさんに出会う】

自分責めがデフォルトになった私は、
またも人生どん底期を迎える。

娘の幼少時代だ。

自分がこの人だ!と思える人と
結婚して、自分が子供欲しいと
思ったから出産したにも関わらず
子育てが全然楽しめなかった。

↓娘が5歳の頃。
笑ってるのに、目が笑えてない。

結婚、出産、安定収入のある仕事。
女性の幸せをしっかり手にして
いるのに。

子供がほしいと思ったタイミングで
娘を授かり、待機もなく
保育園に入れることができ
会社も近くて、最善の選択が
できてるはずなのに。

全然幸せを感じられないし、
余裕がなさすぎて、
かわいいはずの娘には
毎日怒鳴り散らす。

子育てを器用にこなしてる
ママ友を見ては
「なんで私はこんなに
子供を可愛いと思えないんだろう」
と自分責めしていた。

母が近所に住んでて、
ほぼ毎日夜ごはんやお風呂とか
手伝ってくれてたんだけど、
手伝ってくれてるのにも関わらず、
こんなに余裕のない自分が
嫌になった。

周りのママ友は両親が遠いとか、
近くに頼れる人がいないのに
楽しそうにしてる。
あなたたちより楽をしてるはずなのに、
忙しい忙しいって、
私のこの育児力のなさよ!!!

母にも、どこか甘えきれなくて、
これ以上頼んではいけない!
このくらいは自分でやらなきゃ!
っていう線引きを勝手にしていた。

母がご飯作ってくれても副菜は母、
メインは私が作ります!

平日は母に任せているんだから、
土日は私が全部やります!とかね。

なんとなく休みたい。
一人の時間を作りたい。
とかで母を呼んではダメ。

平日、保育園に預けてるんだから、
休日は子供とたくさん関わらないと
ダメ!って、自分に課しては、
イライラして、夫や子供に
「私がやればいいんでしょ!」と
不機嫌撒き散らして
暴言吐きながら
ご飯の作り置きをしていた。

保育園に行く朝、帰宅後はご飯、
お風呂、、
娘には「早くしなさい」としか
言ってなかったな、、、

毎日毎日、自分責めして
こんなにイライラして、
娘はちゃんと育つのかな。。
私も、もっと楽しく子育てしたい。
そう思って、育児本を読んだ。

0歳の子供にはこう、
ママがこうすると子供が明るくなる
ママが楽になる方法とか、
近所の図書館に通っては、
とりあえず借りて読んでた。

育児本読むから子供見ててと
夫に頼み、読んだ直後は
抱きしめるといいらしいよって、
実践して3分間抱きしめるも、、、

結局数日か、その時だけで、
やってらんないんだよーー‼️‼️
を繰り返しては自分責め。

そんな姿を見た夫は
「読むだけ無駄なんじゃない?」
と言った。

ああ、私は結局、本を読んでも、
実践できないんだ。

読む→実践する→続かない→
落ちる→責める→
次なるものを読む→実践する→
続かない。。。を繰り返していた。

そんな時に小田桐あさぎさんの本に
出会う。
今回もまたそんな感じで
うまくいかないかもと
思いながらも、、、
読み始めたら‼️‼️

週1しかお風呂入らない⁉️
私も子育てもやりたいときだけと
思っていたけど、あさぎさんの
手放し感が半端ない‼️
実践が究極‼️
いちいち衝撃‼️

まんまと音声プログラム→
過去セミナー→魅力覚醒講座に
行きついたよねw

超受けたい‼️‼️
超受けたい‼️‼️‼️

本はいろいろ読んでたけど、
「自分の本当の欲望はなにか」
なんて考えたことなかった。

でもさーー、超怪しい‼️

女性が魅力全開で幸せになれる方法⁉️

超怪しすぎる‼️
ないわーーー…

でも、人生後半戦、
もっと自分のことを好きになって
過ごしたい。

これ受けたら素敵な自分になって、
家族にも優しくできて、
会社の人たちにもいちいち
イライラしなくなるんじゃ??と
思いつつ、そんな大金払って、
何も変われないかもしれないし。。。
と、受けたい気持ちと怪しむ気持ちでぐるぐるしていた。

当時のあさぎさんは
今ほどギラギラではなくw
過去セミナー動画なんて、
まだお母さんの服借りてた
時代だったので、全然、
垢ぬけてないしそんなに
美人じゃないしw、
(怪しい起業家は美人で
ギラギラしているという謎の思い込み)
怪しくない、信頼できるって思った。

あさぎさんの語り口調にも
好感が持てた。
すごくハッキリ言うけど、
ディスってる感じはなく、
愛がある口調。
活舌もよくて声も聞きやすくて
好感触‼️
もっと話聞いてみたい‼️って思った。

あさぎさんの話聞いてたら、
4か月後には素敵な私に
なれるかもしれないと思えたんだ。

こうあるべきこうするべき、
をずっと課してた当時44歳。

素敵なアラフォー女性に
なりたかった。

凛とした、大人の対応ができる。
後輩の悩みとかも、わかるよ、
そうだよねって冷静に
対応できる人(えーーー‼️
マジでーーー⁉️⁉️とかは
言わない人ねw)
今の自分にないものを
たくさん足して素敵な
女性になりたかった。

人生後半に向けて、
いい加減自分のこと
好きになりたかった。

こんなこともできないんだ。。。
って自分責めしたり、
いちいち人に言われては
気にする落ち込む、一方で、
あいつ間違ってる、私が正しい❗️
を行ったり来たりぐるぐるしてる、
不安定な自分。

もっと、「私は私」って
揺るがない、凛とした自分に
なりたかった。

正直、当時の私は条件的に見たら
どん底ではなかった。

結婚出産、
安定した収入があるのに
なんでこんなに落ち込んでるんだろう
幸せに思わなきゃいけないのに。
と、結局自分責めしていた。

そんな自分をいい加減やめたくて、
この講座受けて自分のことを
好きになりたくて、
申込最終日、締め切りギリギリに
申し込みボタンを押した。

【とにかく人間不信全開だった13期】

よーし!ちゃんとあさぎさんの
ライブ配信聞いて、ワークも
ガッツリやって、素敵な自分に
なるぞー!!!と心に決めて、
受講開始。
それまでSNSで繋がる
人間関係はしたことなくて。
Facebookも講座を受けるために
アカウント開設したから、
やり方がわからず、少しずつ
覚えていった。
それまで、リアルの子と
LINEはしていたけど、
いきなりSNSから始まる
人間関係をしたことなかった。

初めましてがFacebook⁉️
そこで繋がる意味が
分からなかった。

あさぎさんが好きで、
あさぎさんと繋がることが
目的で入った魅力覚醒講座。
え⁉️講座生同志で自己開示する
意味あります⁉️

あさぎさんにまずはグループ内で
自己紹介、アウトプットしてねって
再三言われたので、とりあえず
あさぎさんの言うこと聞いて
自己紹介だけはしたけど、
ワークシェアは一度もしなかった。

ワークって自分の内側を
さらけ出すよね?
見ず知らずの人に、こんな自分の
内側のことをさらけだすとか?
無理!無理!

私はワークを一人でやって、
グループ内でのアウトプットは
一切せず、やりとりも
全くしなかった。

グループ内アウトプットはしない、
SNSの人間関係なんて
信用してないって言っておきながら、
OGの人とかがどんなことしてるのか、
興味津々でめちゃめちゃ
Facebookは見てた。
アウトプットするなんて、、、って
思ってたのは、その時は
吸収するだけでいっぱいいっぱい
だったのかもしれない。
13期の間はグループには発信せず、
ウォール投稿もしてなかったものの、
ブログには投稿していた。

というのも、当時、月商100万!
副業!などをやってる人を
投稿で見て、本当に衝撃だったのだ。

私も副業とかやってみたい!
と思い、ビジネスを学べる
コミュニティに入った。
SNS人間恐怖症の私がSNSで副業⁉️
まずは魅力覚醒講座に集中しろ❗️
と突っ込みどころ満載なのだが、
当時は、とにかく早く変わりたい!
吸収したい!と思っていた。

その頃の写真↓
カメラ目線なのに、眼力ゼロw

そして、そのコミュニティでの
「まずは発信に慣れる意味で
ブログを書きましょう」という
教えに基づき、ブログを
100投稿ほどして、
アサギストじゃないところでの
発信は慣れてきていた。

「まみ」という人物が
認知されていない「不特定多数」
の人に向ける顔出しなしの
ブログには発信するけど、
13期のグループ内で発信すると、
まみがこんなこと考えて、
こんなこと思ってるって
認知されてしまう、、、、
という、身近な人にほど心が
開けないブロックを痛いほど
感じながら。

それでもあさぎさんの配信を聞いて、
今まで知らなかった心の動きや、
気持ちの扱い方がわかって、
だいぶ楽になったし、変われたなと
思った。

13期はこんな感じで終わった。

とにかく、自分を発信することが
怖かったから、顔出し、
ウォール投稿なんて
とんでもなかった。

だって、テレビとかで
「顔出すと個人情報流出!
SNSで家を特定されて
ストーカー被害!」って
ニュースでやっていたから。

SNS自己開示=狙われるって
図式が出来上がり、
ただただ怖かった。
だから、アイコンも顔出ししたら
死んじゃう!
って思って、
最初は子供が書いた似顔絵にしてた。
ハイ、こちら↓

個人情報流出が怖いというのも
あったけど、顔出しに対する
ブロックもあった。

当時、リアルの友達がLINEの
アイコンを自分の顔写真に
してるのを見ては、
は⁉️なに⁉️自分のことかわいいって
思ってるわけ⁉️
アイコン、顔にしていいのは
芸能人級に可愛い子だけでしょ?
顔出していいのは一定レベルの美人、
可愛い子のみ‼️って
心の中でディスってた。

インスタフォローも芸能人のみで、
見る専門だった。

そんな中、友達が
インスタを始めたから
フォローしてと言われ
フォローしたら!!
なんと!!
彼氏とのツーショットとか、
ランチの画像とか、
お友達と出かけたーとか!!!
なにこれ⁉️
一般人なのに、芸能人の
プライベートみたいな空気感で
発信してるの⁉️誰得⁉️
誰が観んのよ⁉️
って思ってたんだけど、
実際にはいいねがついてたり、
コメントがついてて。
「彼氏さんと仲良さそうですね」
「スタイルいいですね」
「美味しそうなランチですね」

ええええ‼️‼️
一般人でこんなコメント
もらえちゃうわけ⁉️と、
ディスる気持ちと衝撃的な現実に
私はパニックになった。

注:まみは東京育ち❗️
割と都会人ですw

インスタ見るのは芸能人のみ。
自分が発信するなんて、
一般人の私がとんでもございません
の思い込み。

(私より)たいして
かわいくないくせに‼️
大した情報与えてないくせに‼️
見たくない‼️
と、ディスリまくって
フォローを外した。
たかだか普通の子なのに、
芸能人気取りでコメントも、
いいねももらう⁉️
私と一緒のしがない会社の事務員で、
なんなら私よりブスなくせに‼️‼️
と。

それほど自分を発信するなんて
皆無だった。

何のとりえもない「私なんか」が
発信なんて‼️‼️

そんな私が今ではインスタ120%
自撮り投稿になる。

そのきっかけは、
「アサギスト環境」だった。

アサギスト界隈にいて
気づいたんだけど、
アイコンを自分の顔にすることって、
私が出たい!かわいいから!
ってだけではなく、
自分の存在をアピールすること
だったんだよ。

たくさんいるアサギストの中で、
この人ってこういう人だよねと
覚えてもらいやすくする、
分かってもらう相手へのギブって
ことを学び、私程度の人が
顔を出してもいいんだって
思えるようになった。

可愛いから出してるんでしょ?
ってディスってたのに、
顔を覚えてもらいやすくする、
顔出してくれた方がリアルで
会った時に一致しやすい
親切心ってわかったら、
ディスる気持ちがなくなり、
ハードルが下がった。

それでも、やっぱり初めて
顔出しする時にはすごく緊張して、
わざと画像の粗い、
顔がわかりずらい、
背景も加工したものにしていた。


↓顔出しと言えないレベルの加工w

でもこれじゃ、絵と変わらない。
認識できないじゃん。

そして思い切って、
顔のドアップをアイコンにした。

コレね↓

今見ると、表情も硬いんだけど、
これを出した時に、
みんなから「美人!」とか
「綺麗!」とかコメントをもらえて、
本当に本当に嬉しかったんだ。

それからは、コーデの写真、
考えていることなど、
少しずつウォール投稿できる
ようになった。



【アサギスト環境が私を変えていった】

OGを見ていると、
一般人なのに撮影!とか、
ライブ配信で莫大なコメントを
もらってるのとか、
SNS初心者の私にとっては
ファンがいるOGは芸能人に近い
存在だった。

初めはただただ見てるだけだった
OGのライブ配信。

すごいな~すごいな~。。

そのうちに、個人が特定されない
ような無難なコメントをこっそり
残すようになった。

13期では同期とは関わらなかった。

ワークはやっていたので、
自分を振り返るとか、欲望とか、
嫉妬の扱い方とか、
あさぎさんのライブ配信も
欠かさず聞いて、アーカイブも聞いて、
家族へのイライラも減ったし、
会社の人間関係もやりやすく
なっていた。
こうあるべき!を自分に課して
イラついていたのが、
あなたはこう、私はこうと
切り離すことでイラつかなくなった。

自分の中では成長したように思えた。

ふふ、私、変われてきたな!
OGとかしなくても、
私覚醒してきてるんで!と
14期はOGも入らなかった。

ところが、ある日、
同期の投稿見て衝撃の事件が!!
「13期で送別会しました!!」
と、楽しそうに同期とOGが写真に
写ってるのを見て、
私は激しく嫉妬した。

呼ばれてない‼️
私、知らなかった‼️‼️

でもすぐに思った。
そりゃそうだよね、
オンラインで投稿、発言しないのは
いないのも同然。

このままじゃダメだ‼️
もっとコメントして、
私をアピールしなきゃ!
つながらなきゃ!と、
ひたすら色々な人の投稿に
コメントしまくってた。

私はココに居ます‼️‼️
ここにいます‼️‼️

OGは入らなかったけど、
色々な人の投稿にコメントしたり、
ウォール投稿したりで
アピールしまくった。

その頃、金髪にしたOGゆーしに、
かっこいい!こういうポージングで
お願いします!ってコメントしたら、
嬉しい!と返信くれて、
関係性が育まれた!
私と言う人間を認識してもらえた!
と嬉しくなった。

そして15期にはOGとして参加!

15期の初めのチャプター0で
あさぎさんが
「人間関係得意じゃない、
繋がるの得意じゃないから
誰とも関わらず、ワークと
ライブ配信だけで変われますか?」
という質問に、
「そういうことしてると大変だよ。
交流を持とうね。
実際13期コソコソ受けてた
はなみん(まみ)が交流を
持ったことで一気に変わったと
言ってくれてるよ」って、
名前を出してくれたことで
私の認知度が上がった。

チャプター0で紹介されてた、
はなみんさんですよね!って
言ってもらえるようになり、
私、OG頑張る!と気合が入り
講座生に友達申請しまくり、
発信しまくった。

15期では、OGとして背中を
見せなきゃと、無駄に
上から目線のアドバイスして
しまった側面もあり、
楽しかったけど疲れた。

16期OGでは自分向き合いに
集中して、質問されたら
返す程度だったけど、
自己開示が楽しくなってきた頃でも
あった。
発信楽しい‼️
変顔もデビューして、
ありのままの自分を出して
みんなからコメントをもらえることが嬉しくて、
どんどん発信が楽しくなった。

散々お局様に注意されていた
リアクションでかい、
わざとらしい自分を解放したら、
面白い!最高!もっとやって!
とコメントがついた。

あれ、私、そのままの自分で
いいかもしれない。

変顔発信はどんどん増長した。

面白い私、表情筋が活発な私を
出していいんだって、
安心して出せるようになっていった。

でもそのうち、そればっかりに
なってる自分に飽きてきた。

コメントもらえることは
嬉しいんだけど、だんだんコメント
もらうためにやってみように
意識が向き始めてる自分がいた。

なんか違うな...

この頃に、定年まで働こうと
思ってた事務員の退職も決めていた。

もう事務員のまま一生終わるのは
絶対にイヤだ
と思っていた。

「私事務員です」っていうのが、
本当に嫌だった。

つまらないんです私って
言ってるみたいで。

何て言いたいんだろう。。。って
思ったら。

「歌を歌っています」

「不定期にライブやってます」

とか言いたかった。



そして、変顔も、会社も辞めた。

まずは長年の夢だった金髪にした。



定年の60歳になって、
退職したらやろうと思ってた金髪。

早く金髪にしたくて、
退職日の翌日に美容院予約した。

退職後はひたすら自由な時間を
満喫‼️

こんな服着たら浮いちゃう…
っていう服もチャレンジ。


2021年、マツミホコンサルにて↓

ファッションコンサルで
派手な服似合うよ、って
教えてもらい、背中を押してもらえた。

外見がどんどん整ってくると
ちょっと私イケてるんじゃない⁉️
って自撮り投稿が一気に加速した。


コンサルで勧められたスーツを
大好きなYOSHIKI様仕様で✨↓

もっとギラギラしたい‼️

この頃ちょうど、30年慣れ親しんだ
地を離れ、同じ関東だけど
第二の人生の地に、引越した。

近所や会社、娘の友達に
ギラギラしてる姿を見られる
心配もなく好きな姿でいられる‼️
ということも拍車をかけた。

母として●●(金髪NG,
シースルーNGなど)

事務員として●●(事務服に
金髪はNGなど)

色々課してたものを脱ぎ捨てた。



退職前に受けていたセッションで、
退職したら何やりたい?と
聞かれていた。

顔出しなしの副業はちょっと違うと
思って辞めてしまったし、
退職してからゆっくり考えようと
思い、「まずはゆっくりしたい」
と答えた。

でも、何かやりたいことが
あるような気がしていた。

幼少期からの夢の実現?

そう、歌を歌うこと。

「ライブやってみたい!!」

一瞬上がってきたものの、
いや、でも、無理!
一般人でカラオケレベルの私が‼️
と、すぐ頭で打ち消した。

でもとりあえず投げとこ!と、
FBで、ライブやりたい!!と
投稿したら、ボイトレの
ディーちゃんが相談に乗るよー❗️と
コメントくれた。

そして、出来るわけないと
思っていたライブの現実的な手配を
教えてくれて。

これ、できちゃうのかも??
できるならやる‼️
絶対にやりたいです‼️と、
いつの間にか怖さよりも
やりたいが強くなっていた。

簡単にできないと思ってたから
怖かったけど、ディーちゃんに
手伝ってもらって、
この手順でやったらできるんだ!
ってことがわかって。

曲目はなにしよう?
衣装はどんなのにしよう?
こんなライブにしたい‼️
どんどんアイデアが浮かんできて、
ワクワクした。

初めてだから、どれだけ人
集められるか、わからないから、
会場は、一番気分が上がった
40人規模の新宿ライブハウスに
決めた。

ファーストライブだから
満席にすることが目的じゃない。

そうだよね、私のことを本当に
好きな人、歌が聞きたいと
思ってくれる人だけが
来てくれればいいと。

「ファーストライブやります!!」
と告知したら、
お申し込みは、、、なんと3人!!

あれ、、?

告知、もっと頑張らなきゃ!!

そう思ったものの、集客の
やり方もわからず、でも
集客しなきゃ!告知しなきゃ!って
ところに意識が集中して、
メンタルが落ち始めた。

そんな時、数秘のみっちゃんが、
たまたま私のLPナンバーである
8について、ライブ配信をしていた。

価値提供しなきゃって
肩に力が入りすぎると、
カチコチ告知になる。
それをやってると
どんどん苦しくなって
できなくなるから、
こんな楽しいことやるんです!
こんなことやりたいんです!
ってワクワクして伝えていたら、
なになに楽しそう!って
人集まってくるよ!と。

集客しなきゃ!
何をやるかちゃんと内容伝えなきゃ!
たくさんの人に見に来て
もらわなきゃ!ということばかり
考えてしまって、
ライブをやりたい!っていう
最初のワクワクをすっかり忘れて、
苦しくなっていた。
これを聞いて、そっかー!!って
嬉しくなった。

そんな熱量で告知投稿を
続けていたら、チケットを
買ってくれる人が増えてきた❗️

むーみんがライブ配信しよ❗️
って言ってくれて、
他にもコラボライブ配信しよう!
って声をかけてもらって、
ライブ参加してくれる人が26人!!

全然満席の40人には満たなかったけど
ライブをやりたい!って
気持ちしかなかったから、
26人が少ないとは思わなかった。

↓スタジオにて、練習中

今の私を全て出し切ろう‼️
このままライブ行くぞ‼️と、
エンジン全開だったのに、、、、

ライブ数日前に、まさかの、
コロナ発症。
落ち込んだ。
目の前で大きなシャッターを
思いっきり、閉められた感じだった。

ずーーっとやりたかったのに、
ここまで準備してきたのに、
なんでやらせてくれないんだ!
全ては最善って言うけど
10/1が最善でしょ❓
今の私を全部出すから!
お願い、ステージに立たせて。
歌わせてよ。。。

でも、もう起き上がれなくて、
声も出なくなって、
とても数日後にステージに
立てる状態ではなかった。

でも絶対にやりたい‼️
中止にだけはしたくない‼️

と、すぐに、バンドメンバー、
関わってくれてる人たちに
延期したい旨を連絡、
日程調整をして、
4月の延期を取り付けた。

それから、通常モードに戻れるまで
1カ月かかった。

ベットに横になりながら
ずっと考えていた。

私が本当にやりたいステージって
なんだろう?
そもそもライブが延期になった
意味ってなんだろう?
よくわからなかった。

まずは一度、ライブの事から離れて、
自分満たし、自分が楽しいと
思えることをやっていこう。
私が楽しいって思えることって
なんだろう?

私はもっと自分のこと知りたい。
そう思った。
そんな時に入った、
みおちゃんの四柱推命干支グループ。

人の意見に引っ張られて
いちいち揺れる自分が嫌いだったし
私はこうだ!ドヤー‼️って出した
次の瞬間に
私なんて大したことないって
すぐ落ち込んで上がってこられない
自分が嫌だった。

人に影響されない、
自分軸がブレない、
揺れない自分になりたかった。

でも、甲(私の干支)っていうのは
揺れながら伸びていく。
その揺れる姿さえ魅力と教えてもらい。

揺れてる私は醜い、なくしたい
って思ってたけど、
まみの揺れてる姿は美しいと
言ってもらえて。
え⁉️揺れていいの⁉️
揺れる姿さえ美しい⁉️

やっと楽になった。
揺れちゃいけない!
揺れない自分にならなきゃ!!
ってずっと思ってたから。

しかも、揺れるのも必然って!!

それまで認知されないことや、
嫌われることが怖いって思ってたけど、
こうして、好きだなと思っている
人たちと密に関わってみて、
本当に好きな人だけと
繋がれればいいと思えるように
なった。

それでもまだ、コンプレックスが
あった。
派手な外見、ドヤる表情の自撮りとは裏腹に、真面目に、
ああしなければ、こうしなければを
課す自分。

何かを踏み出す時に、
いちいち考え込んで尻込み
してしまう自分。

まだまだ人生を楽しむのが
足りないな、、、
自分が楽しまないと
伝わらないな、、、と
大好きな世界観に浸りたくて、
花魁撮影、ロック風撮影をした。



もっと自分を好きになりたい‼️
かっこいい自分を極めたい‼️
と思っていた時に現れた
秘密結社…

なにをやるのか?
どんなことがそこに入ったら
できるのか?
詳細はよくわからなかったけど、
幹部と呼ばれるメンバーの名前を
見た時に、何か面白そうなことが
あるに違いないとワクワクした。

この訳わからない感じ、
どう考えても面白いっしょ!!と❗️

入ってみたら、「人生を遊ぶ」が
テーマで、今の私に
必要なものだってわかった。

そして。。。私が目指していく姿、
なりたいけど怖くて逃げてきた姿が
見えてくる。

それが「ナルシストな自分になる」
だった。

秘密結社内のミッションで度々、
ナルシスト投稿をして
少しずつナルシストになることを
自分に許可し、一皮むけた。

ファーストライブは絶対に
カッコイイステージにしたい。

ナルシスト全開にして、
4月まで突っ走った。

コロナ延期前までは目指して
いなかった満席。
コロナになって、
ステージに立つ自分を改めて
想像した時に、
満席の中で歌いたいって思った。

満席の方が歌ってて
気持ちいいじゃん?

ただただ、私が気持ちいいじゃん?

満席にしたい気持ちに忠実に、
観に来てほしい!と思った人たちに
一人一人お声がけさせてもらった。

そして、見事に
単独ファーストライブ満席‼️

ヨッシャー‼️‼️‼️‼️

もう、さいいっこ~ぉぉぉぉ〜‼️‼️

更なるパワーになった。

前日まで緊張して、
物を落としたり落ち着きなくて、
テンパったりもしたけど。

ステージに立ったら、
あっという間だった。

歌う前は、6曲、
ちゃんと歌いきれるのかな?って
思ってたけど、
あっという間すぎて、、、、

もっと長く、もっとこの感覚を
味わっていたかったーー!!!!!

当日はナルシスト全開で
ここでウインクする❣️
とか決めてたのに、
みんなの声援が温かくて、
嬉しくて、最初から笑顔が
緩みっぱなしだった。

キメ顔崩壊‼️‼️



5歳から歌ってた私。

中森明菜、沢田研二、
アイドル全盛の時代。

テレビの向こうでかっこよく
決めてる姿を見て
私もあっち側の人になりたい❣️
それがスタートだった。

近所にカラオケスナックがあって、
一緒に連れて行かれて、
まみちゃん上手ね~❣️と
周りに言われて歌ってたのが
40年後、ライブで満席の
お客様の前で歌ってる私がいた。


【アラフィフ一般人の私が
ついにファンクラブ発足!!】

これもずっとやりたかったけど、
怖くてできなかった。

お金を頂くなら価値提供をしなきゃ。

もう少し、、、
なにかできるようになったら、、、
って考える私。

今年48歳。
アラフィフだから、、って
年齢を言い訳にして
やめそうになる自分。

この年で、これまで大して
歌の経験もしてきてないのに、
ライブハウスで歌いたいとかイタイ。

ライブを一回やったぐらいで
シンガーなんて名乗れないんじゃ、
とか。

でもさ、、、
例え周りから見たら「イタイ」って
思われたとしてもさ、
自分で好きだ‼️
これがやりたい‼️
こう在りたい‼️と思ったら
そこ目指して進んでいいんだよね。

ダメだよ。
できるわけないよ。
って思っているのは自分だけ。
制限かけているのは自分だけで。。

本当にそう思った。

これからもライブやりたいし
アラフォーだから、
アラフィフだからって
諦めるんじゃなく。

YOSHIKI様のような
スケスケのシースルーシャツも着る❣️

ギラギラした服着て、
デカいゴールドのアクセつけて、
真っ赤な口紅つけて、
ドヤリ投稿してもいいんじゃない?

って今なら思える。


14歳からファンのYOSHIKI様。

至近距離は去年の
ディナーショーだった。

それまではどんなに近くても、
XJAPANのコンサートで、
東京ドームのアリーナ席だったから、
至近距離にYOSHIKIがいるって
いうだけで、ソワソワして、
その前のフルコースディナーも
ほとんど味覚えてないし、
YOSHIKIの一挙手一投足に
いちいちキャーキャーして
ずーっと心臓がバクバクしていた。

そんな初めての至近距離で見た
ディナーショー。
今年は、なんと!
ファン34年目にして、
初めてYOSHIKI様の
手に触れることができた❤️

このディナーショーも、
実はずっと行きたかったんだけど、
10万⁉️高っ‼️

YOSHIKIは好きだけど、
2時間ちょっとのために
10万も払うなんて私には無理‼️
って思って行けなかった。

老後のため!子供の教育費のため!
何かあった時のために貯金が命!
だからお金を使わない!
お金を使うことは悪だと
思っていた私。

そんなお金ブロックがあって
なかなか行けなかった
ディナーショーに去年初めて行き、
体験に使うって、こういうことか‼️
ってことを実感した。

私は特に体験にお金を使うと
いうことにブロックがあった。

10万円を払って、モノが確実に
手に入る、ブランドものを買うと
いうことはまだ、できた。

でも、体験は形に残らないから、
本当に10万円の価値があるのか
どうかわからなくて。
無形のものにお金を払うことに
物凄く抵抗を感じていた。

どんなに大好きなYOSHIKI様でも
たかだか2時間観るのに10万⁉️

でも実際、YOSHIKIが奏でるピアノ、
ドラム、お喋りを
至近距離で見て
「これが体験に気持ちよく
お金を払うことだっ❣️」と
心から体感した。

親友との絶縁がきっかけで、
友達とファンの境界線が分からず、
ずっと躊躇していたが、
ついに私のファンクラブを作った。

だって、やりたいんだもん!
仕方ないじゃん!!
私の話を聞いてほしいし、
ただただ発信したい‼️

ファンクラブやるなら、
お金をもらうなら
価値提供しなきゃ!って
思ってたけど、日々思ってること、
感じたこと、気づいたことを
ひたすら書いてるだけ。

それによって学びになる!
ってメンバーからは
言ってもらえてる。
理想的だった。

これを言ったら刺さるかなとか
これ言ったらみんなに喜んで
もらえそうとか考えなくても、
これ言いたい‼️
っていうことをひたすら
垂れ流していたら気づきがあるって
言ってもらえるなんて最高だ。

ずっと誰得⁉️
有料にするなら何かしなきゃ
いけないって遠慮してたけど、
自ら刺さってくれて、
もっと好きになったと言ってもらえる
なんて最高でしかない❗️

私のことが大好きで、
もっと近くで関わりたいと
思ってる人‼️

気になるけどちょっと遠くで
見てる人‼️

外見ギラギラしてて
近づき難いんだけど、
実際どうなの⁉️って思ってる人‼️

みんなまとめて是非近づいてきて💋

【揺れる自分と怖さの闘い】

ライブもっとやりたい‼️

自分はこうです❣️って
もっと発信していきたい‼️

もっと「まみ、カッコイイ!」
って言われたい‼️

もっと「美しい自分」
「カッコイイ自分」になって、
そんな自分に酔いしれてる
私を観てほしい
‼️

圧倒的な存在感で、
見ている人たちに
「MAMI」の全てで魅了したい‼️

という確かな欲望。

と同時にあるのが、
本当に私は変われたのかな?
という思い。

確かな欲望はあるのに、
叶えたい!って思いは本物なのに、
あの頃の、「何の取柄もない自分」が
顔を出して、すぐ自分の殻に
引っ込んでしまう。

私の夢が叶い始めているのは、
今の環境のおかげだと確信してるけど
夢を体現している人を見て、
比べて、まだまだだなって
自分責めすることもある。

じゃあ、やればいいじゃん?って
思うよね?
気づいたら8割解決って言うよね?

でも怖くてできない。
でもやりたいんだ!!
を行ったり来たりしてる。

欲望とか並べてみたけどさ、
結局、今は「ライブやりたい」しか
思い浮かばないんだよ。

次のライブはこんな風にしたい‼️
ライブでやりたいことで
頭がいっぱい。

ホールじゃなくて、
ライブハウスで歌いたい。
いつか!いつか!!
2500人規模の
ライブハウスで
熱狂ライブをしたい。

ヌォーーッ‼️
最初は漠然と200人規模でって
思ってたのに、
やりたいライブハウスのキャパ
調べたら2500人だった‼️
書くのすら怖いから
ストーリーに書くのやめよって
思ったけど、
書くのはタダだから…書いた。
(でもこえーよーーーー‼️‼️🤮)

座って観るんじゃなくて
オールスタンディングで
前にガーッ!!って押し寄せて
観てほしい。
「まみー!!」「MAMI様~~!!」
って熱狂的に。

お客さんと近い距離で熱量を
ぶつけ合いたい。
お客さんからもらうパワーで
どんどん熱量を上げていく私。
汗にまみれながら、
妖艶に、全身で歌うことを表現する。
そんな、さいっこうの自分を
魅せたい。

こんな風にライブのことで
頭がいっぱいになりながらも、
お客さんが来てくれなかったら、、、
という恐怖に怯えて
行動できない自分。
でもやりたくてやりたくて
しょうがない自分。

こんな揺れまくる自分を
全部認めて、、、
振り戻される自分と戦いながら。
今日も、これからも私は
挑戦を続けていく。


最後まで読んでくれて
ホントにありがとう!!

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