日記6月7日 ファスト動画と心のパンツと「べき」の質の変化と不変化。
今朝の体重は66.3kg、体脂肪率7.7%と出た(朝食前)。土日に少し太ったようだ。体脂肪は低めに出たが、少しでも運動すると翌日たまによく出るときがある。
バタフライ・エフェクト、日本語の箴言では「風が吹けば桶屋が儲かる」をなんとなく実感するようになると、「べき」の質が少しだけ変化するように思う。
説明なしで「普通はそう思うこと」を否定されると反発がある。
例えばファスト動画。違法漫画サイトなどもそうだろう。
ファスト編集した時点で、著作権的に違法となるだろう、という感覚があるが、「ひと手間」かけているのでどうだろうか、という「逃げ口」が織り込まれている。違法サイトであれば「海外サーバー」であろうか。
金はないが、コンテンツは消費したい。これは基本人が普通思うことだろう。テレビはその思いを受け、「スポンサー」が番組提供するという仕組みで発展した。だが録画してCMを飛ばして視聴することは、本質的にはどうなのか。どう使われるかはメーカー責任ではない、という建前で、そうしたビデオ機能を追加するメーカーは、違法行為を担ぐものなのか。
つまりはすべて「法律」で縛り、縛り切れない部分が「ビジネス」を生む。ビジネスとは言いにくいのであれば「金儲け」だろうか。
結局、ただ乗り(英語で言えば「フリー・ライダー」で、英語話者ではない私が聞くと、なんだか「イージー・ライダー」見たいでかっこよくさえ聞こえますが)により、著作権者に金が流れず、「質の良い」著作物が生まれなくなる、という「とおい蝶による空気のゆらぎの10光年先の変化結果」を想定できるかどうか、が自身のものとして「べき」が受け入れられるかどうかのキイとなる。
だが、いわゆる「子供」つまりは被扶養者で自身で稼ぐ機能がないものであればどうだろう。「あんたは見たいだろうが、違法なのでだめだ」という説明にもならない単なる「理由は不明だがだめらしい」という抑止方法では、なかなか「隠れてみる」が止まるまい。そのあたりがわかっているので、「違法だ」として押さえようとするのである。いわゆる禁酒法のようなものだ。いたちごっこである。
しかしバタフライ・エフェクトで、オモロイコンテンツがなくなってしまうのだ、と言えば、何%かは「では我慢するかな」とじわりと変化してゆくのではないだろうか。
いわゆる「古本屋問題」「新古書店問題」「ベストセラー図書館問題」とも根を同じくする問題だ。クリエーターによっては「収入減に直結する」として、「ファンです、ブックオフで買いました」というファンを敵視することがある。わかる、とてもわかるのだが、自身のコンテンツに感動した、という、世の中の仕組みがいまだわかりきっていないプリミティブな感動を述べる人に、「お前はオレのファンとは言えない」と切り捨てることは残酷な一面があるような気がする。
せめては「読んでくれるだけでとても嬉しい。出来たら次の制作につなげられる新刊での購入だともっと嬉しい」とピクピクしながらでもいいので温顔で言ってはもらえないものあろうか。
甘いといわれるのだろうか。
(まあ、クリエイターがそうおっしゃるのは、販売部数が多くない人だと死活問題ですからね。。憮然としてそう言ってしまうのもわかる気がします。。。。)
あ、心のパンツ問題についていうのを忘れていた。マスクによって、人の顔、というのは顔の輪郭と目と、鼻梁中段までの湾曲具合、のこととなった。
「全ての顔にファンタジーがある」状態であろう。
鼻下段(鼻腔の角度や形状含む)と口の形状、鼻と口のバランスに歯並び、といった要素は、「個人情報」「秘匿すべきもの」となったのだ。
マスクを取ると端的に恥ずかしい、という感覚が確かにある。取るべきなのか、一つのファッションとして残すのか。
かつて芸能人が少しでも匿名性を得ようとして装着するのに「黒メガネ」があった。日本では普段からサングラスする人が少なすぎて、目だって目だって仕方がない。だが黒メガネにより黒メガネ装着者が確かに「あの芸能人である」という「確証」は得られない。
海外へゆけば、屋外に出た瞬間にサングラスだ。このあたりは「007」を見てもそう思う。外では紫外線をブロックせねばならない。瞳の色素が薄くて紫外線ブロック力がよわいから。茶色の瞳の民族はまあそれほど。
マスクも今後一応は「感染予防」という名目は残るだろう。
実態が実は、「顔のプライベートゾーン」秘匿のため、であったとしても。
(顔パンツは心のパンツとなったわけですね。。)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。