11月3日 浪漫主義と啓蒙主義の違いは、いわゆる日本の”文系”傾向と”理系”傾向に似ている気がすることなど。
昨日は同期会。会社入社同期で東京にいる人たちとの飲み会であった。
私は入社してから3年半で入社した会社の工場から別の工場に行っているので、結構皆さんとは久し振り。だがまあ愉しく飲むことができた。
場所が新橋近辺だったので、皇居横をあるいていったが、今の時期日の入りも早くなっており、日の入りの光景を楽しむことができた。
ビルの多い丸の内だが、皇居あたりは空がひろびろと見えて、気持ちも開けてくる。
飲んだあと、普通にいつもの通り夕食を食べて、今朝は朝食後に測って体重は66.1kg、体脂肪11.7%、筋量55.5kg。うーん、まあこんなものだろうか。
17000歩弱歩けたので、まあ運動量はまあまあであろう。
それほど油ものや炭水化物を摂った感じがないので、そこはよかったと思っている。
今日も飲み会。体重67キロ突破は間違いないだろう。
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先日浪漫主義と啓蒙主義との違いを知って、私は心情的には浪漫主義がいいなあ、と思っているというようなことを書いた。
まあ、浪漫主義は善と悪の二元論なので、悪が存在する、というわかりやすさに淫している、ということがあるだろう。
啓蒙主義者の人々からすると、そのあたりが甘っちょろくて感情的だ、もっというと子供っぽい、という風に感じるのかもしれない。
なんとなくだが、日本でいうところの”文系””理系”の差、と似ている、という感触を持っている。
私にとっての”文系”とは、とにかく数字が苦手である人たちの総称である。算数が苦手だ、という人がいると、途端にわが心の中はシンパシイに溢れてしまうのだ。
そこには個人的なコンプレックス、仕事をGETするには理系であるほうがいい、という事象があるとの理解で高校時代理系を選んだが、算数赤点、物理に至っては全く理解さえできない、という状況になり、たしか高校1年の2学期から文系クラスに移った、ということが関係しているだろう。
まあ、コンプレックスとはいっても、一応理系でやれるかあがいてみた、ということについては、個人的には納得している。
文系でももちろん数学があったが、基本あきらめて他の科目で限界まで頑張ろう、という路線でやったものだ。
そんなコンプレックスもあるので、物事をウエットに見るのが好きで(まあ文学好き、感情過多ともいう)、クリアカットに割りるのがイマイチで、割り切られるのが嫌である。
本当はそのような個人的な感想抜きに、「真実はどこにあるのか」という姿勢が必要な気もするが、
所詮”自分”が住む世界を”自分”でどのように認識したいのか、恣意的を経てもいいが最終真理に肉薄する、ということが、
本来目指すべき方向で、
あるのだろう。
(あんまり周りでそんなこと考えている方いない感じなんですが。。。(笑))
グノーシス主義の思想: 〈父〉というフィクション
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。