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11.8 文化の密度。

ところで、二千部の新刊を造ったとします。売り先は、東京都内で千五百部、京阪神で百部、その他の地域は全国津々浦々すべてひっくるめて百部。残る三百部は五年ほどかけて、東京で徐々に捌けていきます。つまり、出版は東京以外の地では成り立たないのです。

コーベブックスはじめ数多くの愛書家向け書籍を編集してきた渡辺一考さんの言葉から引いた。

この感覚は自分なりによくわかる気がする。

本でもそうだが、例えば私がやっている版画などでもそんな感じがする。


私が銅版画をはじめてもう七年くらいになるのだが、版画制作に加えて版画購入や画廊でも展示を拝見することも増えた(それまではほぼゼロ)。

そこで感じた市場観がもろに渡辺氏がおっしゃる「本の売れる割合」と合っているのだ。

出版は東京以外の土地では成り立たない、とおっしゃっているが、例えば嗜好性の強いジャンルである版画、特に銅版画などでいえば、ほぼ同じような感じを持っている。

東京の市場が圧倒的なのである。これはもちろん人口の問題だろうが、それでいけば京阪神だってそれほど差があるわけでもないだろう。

だが、大阪、京都、神戸あたりでいけば、有名どころの画廊を除けばあまり市場があるとは思えない。

私が長らく住んでいる名古屋でいけば、ほとんどない、という感じである。

名古屋というのは、文化的にも観光的にも空白地帯、といってしまうと失礼かもしれないのだが、食(B級グルメなど)では気を吐いている感じはするものの、文化ではとても厳しい、というのが実感だ。

観光でもほとんどが結局グルメツアーになるのではないか。ひつまぶし、手羽先、あんかけスパ、喫茶店文化。名古屋城に行ってしまえば、あとは愛知県ではない三重県のテーマパークだろうか。

名古屋から、東京でも大阪でも、京都でも、神戸でも、けっこう簡単に行けてしまう。なので小旅行を兼ねて皆さん行ってしまうので、わざわざ熱量をあげてなにか文化や観光施設を作り上げよう、という気がしないのではないだろうか。それよりは「着実に稼ぎ、蓄財して、安堵する」。これである。

堅実な人生。

だが日常生活でも小さなときめきがあればなあ、と思うのは贅沢なのであろうか。わざわざの旅行は先立つものが必要だ。日々のうるおい、という意味では、もうひとガンバり、と願うのは名古屋に失礼すぎるだろうか。

(特に画廊が少ない気がします。まあ、個人的嗜好にあった、という枕詞がイケナイのでしょうが。。。泣)



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豆象屋
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