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日記8月6日(金) #日記 人型ロボットの悲哀。

ソフトバンクへ携帯の更新のため行ってきた。

月日の流れが速い。いろいろな変化をタイムリーにつかまねばならぬ、という思いも、それほどなくなってきた。

が、ITガジェットはサポート終了、という形で金の支出を迫る。サポートがなくなると、機器は基本たんなるプラスティックと金属の塊となって、さらには廃棄も微妙に大変だったりする。

私の行く店舗では、ペッパー君がおり、いろいろと話そうとしていたが、はじめは面白かったが、最近は無視していた。昨日は「コロナにより停止」という張り紙を付けられて、店の隅で頭を垂れていた。

アトム、は基本、ロボット3原則に縛られた感情のある機械、として描かれ、生まれついての悲哀がいわば差別をテーマとする物語であるもののそれがオブラートに絶妙に包まれた形で大ヒットした。

プルートーを敵役とした”地上最大のロボット”編は、なぜ最強、と表記しなかったのかという疑問と、アニメのブームと相まって、最高の人気を博した。言われるがままのデクノボーであったプルートーが、最後は感情を獲得してゆく様は、最高にしびれるストーリーであった。また個人的にも昭和40年前後の手塚のタッチには、独特の色気が一番色濃く出ていたように思うのだ。

アトムはエネルギーがないと停止する。確かお尻(だったかな)あたりでチューブのような管で補充していた気がする。エネルギーがないアトムは、疑似的な死に陥るのだ。そう、昨日出会ったペッパー君のように。

うなだれ、目の光を失った人型ロボット。かつてのアイボ第一世代は、そのアフターサービス終了とともに、その形を愛した多くの家族を継続的な寂しさへと陥れた。たしか仮面ライダーゼロワンでも似たようなストーリーがあった。アフターサービスの終了した人型・ペット型ロボットは、火葬できないが故にその姿を長く残す。これは人形とて同じなのだが、もともと動き、コミュニケーションしてくれていただけに、よけいにキツいのだ。

人形供養、に供するべきだろう。火葬、でもいいかもしれない。ペット火葬、ペット霊園に、思いでとともにアイボを、そしてペッパーを、受け入れる仕組みがあってもいいのかもしれない。

形にはそれをまなざす人の思いが残る。まなざした人自体が、例えば亡くなれば残されたものは故人の思いを個人自体に対する思いとともに受け取る。

ペッパーは2018年の3年契約終了と共に多く契約解除されたという。まだまだ現役の子は多いとはおもうのだが、

ひとこと、やはりちょっと切ないものではある。

(もうすこし、プログラムに頼りすぎない、あるいは自分で修理できる自己完結型ロボットがほしいような、気がします。とにかく停止した姿は、かわいそうで切ないですから)

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豆象屋
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