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8月12日 頭が痛い。
象徴的意味ではなく、実際に頭痛がしている。左側の耳の後ろがいたいので、偏頭痛というやつだろうか。普段はほとんど頭痛はないので、大事を取って本日は午後から休んで家で寝ることにした。
なんとなく熱中症かもとおもっており、朝から水をがぶ飲みしている。
普通の水もいいが、味付き?のもののほうがいいと聞いた気がするので、ポカリかアクエリアスの2Lペットを抱えて眠ろうと思っている。
勝間さんのYOUTUBEで教わったのは、とにかく寝ることが体の修復に一番いい、ということだ。昨日は8時間ほど眠った。今日もたくさん眠ろうと思っている。
なんというか、ぼんやりと結婚とは何だろうか、と思ったりする。
なかなか難しい。今読んでいるスウェーデンの小説では、非常に自由な意識があるようだ。結婚にこだわらない男が主人公の一人(準主人公?)である。これはハリウッドリメイクではダニエル・クレイグが007役を開始した後に演じている。
私も含め、男性というのはなかなか劣化するものだろう。30代で20代と同じ食生活をすれば、腹が出る。私は”腹がでること恐怖症”に大学生の時にかかったので、なるべく腹が出ないように、というテーマで過ごしているが、放っておくとすぐ内臓脂肪が付く。
太る、ということはどういうことだろうか。やはり手軽なストレス解消は食べることになる。まあ、使える金が少なければ(今月の私のようにまたまた4万円もする本を購入すれば)それどころではないのであるが。
人を美しい、と感じるとはどういうことだろう。
やはり種族保存のDNAの奴隷として本能的に生まれる意識なのだろうか。
「本能」といってしまうと、どうしようもない、という感覚が働く。だがそこに隷属することはすこし悔しいような気もする。
左右対称の顔が好まれる、幼児でも人の美醜を判断する、いや、それは文化的な刷り込みだ。いろいろな意見がある。
だが「美しい」と思うのは本当に文化的な刷り込みだけなのだろうか。
人は本音では、個人的な嗜好であると思っている(少なくとも一部は)ような気がするし、そうでありたいと思ってもいるようだ。
なかなか難しい問題だと思っている。
(正解はなかなかないような気がします)
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