日記4月8日(木) #日記 スケッチとエスキース。
村上春樹氏は現在72歳で、昨日出身校の早稲田の新入生に祝辞を送ったそうだ。
氏の出身の一文、これはわたしが学生時代第一志望としており、見事落ちた学部だ。ああ、行きたかったなあ。
そんな村上氏が、55歳頃に受けたインタビュー(本に収められたインタビューは複数なので、氏の年齢はさまざまだが)を読んでいる。
ー『アフターダーク』は具体的にどのように書き上げられていったのでしょうか。
村上 一ページが二ページの出だしのスケッチをまず書いたんです。深夜のファミレスで女の子が一人で本を読んでいる。そこに男の子が入ってきて、彼女に目を止めて「ねえ、誰々じゃない?」と言う。女の子は目を上げる。そういう短いシーンを何ということもなく思いついてサーッと書いたわけ。これは何かに使えるかもしれないと思って、プリントアウトして一年ぐらい机の抽斗の中に入れてました。ときどきそういうことってあるんです。シーンみたいなものがひとつ頭に浮かんで、それを簡単なスケッチにしてメモしておきます。
ー淡いスケッチなのですね。
村上 そうです。木炭の素描みたいなものです。一年間そのシーンが頭の中にとどまっていました。
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹 文春文庫 P.300
長めの引用をしたのは、この”情景のスケッチ”という発想が、新鮮であったためだ。
私が絵を描くときに、大切にしているのが、パッと浮かんだアイデアを描きとめたエスキース、下描きなのだ。創造の女神の後ろ髪、などというとおこがましいが、風呂の中や電車の中などで思いついた情景を、とにかく描きだしてみるのがいいようだ。
なんというか、ここまで、という感じがする。その状態で、時にフィルに入れておき、時にバインダーに挟んで日々時間があったらぼんやりと眺めたりする。
月に2-3回は、お気に入りの席があるスタバに行って、エスキースを取り出しては眺め、ペンを持ってみる。線を足してみる。黒い部分を線で埋めてみる。
すると、少し進むのである。大体のエスキースは、輪郭を描いてしまうと息切れして興味がなくなる感じ、いわば燃料切れとなっているので、大変中途半端なのだ。そこに加筆すると、なんとなく自分の中でも面白さが復活する感じなのだ。
まあ、そんな感じでエスキースをめ溜めている。少し溜まるとファイルに入れてあまりみないので、忘れていたりする。だが見直すとやはり自分で描いたものだからだろうか、描いたときの気持ちが割とすぐに思いだされる。
何年も経ったものがある。あるいは10年以上のものもある。
そしてこのようなエスキース達を見る、という行為自体が、大変になぜか楽しいのである。
その楽しみをこの村上氏のインタビューを読んで思いだした。そして文章でも同じように、エスキースのように、断片の状態でもっておく、という行為もまた、大変にわくわくする行為であるなあ、と思ったので、ここに覚えで写し書きしておくのである。
思いだしたら、試してみようとも思っている。
(このインタビュー集、すごくいいですね。思わず村上春樹をはじめから読みたくなり、図書館で”風の歌をきけ”を予約しました)