11月10日 欠乏のないところに必然的な行為はない。
博多到着。
空港から駅まで近くて便利である。
ワーグナーはその著作「未来の芸術作品」にて
欠乏のないところに真の必要はない
真の必要のないところに必然的な行為はない
と言っているという。
さて、さっと読むと当たり前のことのようだが、ここで言う欠乏とは
魂と言おうか、心の深い所から湧き出るような
どうしてもやりたい、と言う事になるだろう。
そう言う心や魂の状態と言うか場所と言うか、そこをワーグナーは「生産的な原点」と呼んだと言う。
(高橋巖 神秘学入門 p.177)
そしてそう言う場でのみ真の自分にとっての美が生まれるのだろう。
池田晶子さんが池田さん流ソクラテスに語らせたことば、
君は食べるために生きてるが僕は生きる為に食べる
うろ覚えだが生きているとどうしても食べることの大変さにいっぱいいっぱいの気持ちになる。
それは多分仕方がないのだ。
だが意識して、食べる為だけの生でいいのか、自身の心を深く掘ってみる。正面から向き合ってみる。
食べる、生きるは大切なので、いわゆるエゴが生物にはすべからく装備されているだろう。
そこにはそもそも善悪はない。生存戦略、いや本能と今までのdna記憶含め総意による解なのだろう。
だから心が無くても生存できるだろう。しかし心は乾いて泣いているかもしれない。
メーテルリンクが青い鳥と言う童話としても美しい寓話にて
言いたかったことはその辺りなのかもしれない。
(携帯手打ちは大変ですねー😭)
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