11月26日 酒豪ならぬ”本豪”。 松岡正剛さんの「多読術」を読む。
今日は風邪気味。本当はスポーツセンターに行こうかと思っていたが、やめて早めに休むことにしている。
体重は65.1kg、体脂肪8.1%。出張勝ちで結構歩いているからかな。
しかし長時間座って移動するのはやはり疲れる。
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松岡正剛さんの「多読術」を読んでいる(ちくまプリマー新書)。
多読術 (ちくまプリマー新書)
このプリマー新書というのは初めて買ったが、若い人向けの新書ということだ。当方おっさんだが許していただきたい。。
読んでいておもったのは、やはり幼少期から学生時代までの過ごし方が私とはずいぶん違うということだ。
いわゆる京都の旦那衆の息子に生まれ、教養のある母親に育てられて育まれた感性が、やはり松岡さんのベースにあるのだなあ、と思った。
その時代はいわゆる学生運動が大変盛んであった時代のようだ。大学は早稲田の仏文。その時代の”フランス文学”というものが持っていた新しさとそれにあこがれる”若い人”の多さを思う。
それはいわゆる”人文””教養”といったものにつながるのであろう。今の時代、結構アニメや漫画に惹かれるのと似た感性で、そのころの若者はフランス文学や哲学に触れていたのだろう、と思う。
私の学生時代は、そうした感性が過去にあったことはなんとなくは感じていたが、自身がそういう流れには全く関係がないことに唖然としてもいた。
まったく周りにそんなことの気配さえなかったのだ。
(松岡さんも本の中で、「教養」が軽視されている、と書かれていますが、2009年のこの本のころより、現在の状況は格段にひどくなっていますよね。森博嗣さんは国に余裕がないと教養は廃棄される、と喝破されでいますが、そのとおりなのでしょう)
私は何度も書いているが、早稲田の一文(もうこの呼び方は古いかな)を第一志望にしていて、轟沈したものだ。
もし合格していたら、セイゴウさんの後輩になっていた、というわけである。
ジャーナリストにあこがれ、ごくごく自然に編集の世界に身を置かれたのだと理解したが、やはり東京で学生をやる、ということによる人脈、ネットワークが大変効果があったのだろうと思う。
父親が卒業前後で亡くなり、残した借金を歩合制の広告代理店稼業で数年で返済したという。さらりと書かれているが、この”歩合制”が大変儲かった、ということなので、借金から自由になろうというモチベーションと、それであるがゆえに過集中されたであろう代理店業務(大学卒業すぐで金を稼げる仕事ができるだけですごいが)にて、推測だが当時のいわゆる”新進気鋭な”デザイナーや文章を書く人々とのコネクションも結果として太く大きく構築されたのであろう。
編集を任された”本を読まない”学生向けの無料出版紹介誌で、表紙が毎回宇野亜紀良さんであった、という情報を得ただけで、今この令和の時代にその小冊子をぜひ読みたい、と思うではないか。
”本を読むというは、魅力的かもしれん”。
参考書を買いに来たついでに、”ただの”小冊子を持って帰った学生の一部は、間違いなくそう思ったのだろうと思う。
私はやはり、絵やビジュアルに強く惹かれるタイプなので、例示されていた書影を見るだけで心ときめいた。
現在も旺盛にご活躍される宇野亜紀良さんだが、その時代から絵のインパクトは全く変わらない。
そのことのすごさもまた、感じたのであった。
(とりあえず今日はここまでです。松岡さんの読書術で、本に思いっきり書きまくる、というものがありましたが、私はどうしても”書いたら売れなくなる”などと自然に思います。ですがそのことで本の中身がつかめず、再読時の手がかりもない、ということも実感し、本来自分の持ち物なのだから。。と悩んだりしています。2冊買う、とかちょっと考えたいと思います)