6月24日 トレーニングと経験と直感。
「直感の正体は、情動をトリガーとした類推である」
勝間和代
直感に従う、ということは、私のなかではどちらかというと禁忌すべきことであった。
やけくそ、準備不足、どうとでもなれ、という時に取る手段。
そう感じていた。
だが、直感が働くためには、裏に多くの経験の蓄積がないとダメで、それがなければ固まってしまうだけで直感は働かない、という。
なので、「直感に従え」というのがダメだという姿勢を見直す必要があるように思った。
直感、というのであれば、悩んだときは困難な道をいけ、という言い方、あれも直感に近いものだ。
直感が働かず、迷った状態ではあるが、「困っている」という状況がある場合、その後の結果(精神的な結果も含む)を多くの人が見た結果、そっちの方がいい、というやつ、いわゆる箴言だが、これは直感が働かない状態の時のSHORT CUT KEYのようなものだ。集合知、先人の知恵、というものだ。
直感とはいままでの経験の集積が瞬時にこたえを導くものであるが、それにしたがっていいのか?と感じる理由は、論理的な理由がよくわからないせいかもしれない。
論理的に理由を蓄積してゆき辛いこと、例えば初めて会った人に、「これはちょっと好きになれそうもない人だな」という直感が働く時がある。
そしてその後、長く付き合ううちに、「やっぱりそうだった」といケースdけではなく、第一印象は最悪だが、付き合ってみると素晴らしい方であった、というような経験も併せて自身に蓄積される。
後段の経験は多くはないのだが、少ないだけに印象深いものだ。
こういう経験があると、やはり見た目でほぼわかるが、100%そうでもない、というような経験蓄積ができる。
そうすると、見た目で働く直感がより精緻になってきたりするものだ。
例えば声がでかい。
でかいが配慮に満ちている人もいる。
でかくて嫌なことをいう人もいる。
すると声のでかさにもいろいろあるな、となるわけだ。
前段は生来の声質や、大きな声を出すことにPOSITIVEな意味を見出しているようなケースもあるだろう。後段だと大声で威圧しよう、という意識がある場合があるだろう。
そうしたことを、経験値として残していくわけだ。
勝間さんの「もやもやしたものを言語化する力」というのは、本当に素晴らしいと思う。
で、すこし話はかわるのだが、直感は類推、つまり蓄積した経験による推定であるが、この語を読んで思い出したのはトレーニングだ。
例えばある部位を効果的に鍛えようと思えば。
その部位に特化した動きを取り入れて、精度よく効かせる、最大重量というよりはちょっと重めだが7-9回は正確に動けるような動きを行うと、筋肉が効果的に進化する気がする。
精度よく正確にフォームを崩さずやっていくこと。これは直感の精度を上げるために経験を積むことと似ている気がした。
私が好きなタレントに武田真治氏がいる。なんというか、あの過剰かつサービス精神があり、見た目より格段に親しみやすい感じ、苦労して這い上がってきた苦労人だがもともとは王子様路線、という感じがなんだか好きなのだ。
氏の著書、勿論筋肉関係であるが、良い言葉を読んだ。
・夜の空想家ではなく、昼の実行家でいる。
・見せかけの筋肉なんてない!自信をもって鍛えていい!筋肉は実力だ。
トレーニングで鍛えた筋肉なんて、偽物で、本当の労働で得られた筋肉こそ尊い、という感覚がある。
見せかけだけの筋肉にこだわるのは、ナルシストで気もち悪い。そう思われているのでは、なんて思う。
まあ、私の場合は、サラリーマンの健康つくりでしかないので、そこまで筋肉はないのであるが、なんとなく「皆様にそう思われている」という感じを持っていたのだ。
だが、振り切った武田氏が苦労の末に得たであろう金言に接して、自身のなかでもなにかが吹っ切れる思いがした。
ありがたい。さすが武田真治だ。
これからも応援(別になにかするわけではありませんが)してゆきたい。
(あの濃い顔だと、普通はロッカー的にめちゃ細い=YOSHIKI氏のように、という感じですが。。YOSHIKI氏は背格好は私と同じくらいですが、体重は50キロ代。。軽い&細い!!あと常陸宮は180㎝、63キロだという。63キロは軽い!!)