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6月25日 きょうの1ミクロン。
今日の体重66キロ、体脂肪11.7%。
おでんを食べて、1キロ太った。通常は2キロ太るところだが、どちらかというと飲み物多めだったかもしれない。
今日は梅雨の合間の晴れ間、という感じであったが、気温も昼で30度まで上がった。雲が隆々と盛り上がり、こういう空を見ながら歩くと、個人的には気分が大変盛り上がるようだ。
会社にいるときの昼食であるが、今はパン2個とプロテイン20gに固まってきた。パンは米粉パンが非常に柔らかく、柔らかすぎて中毒になりそうだ(笑)。もう一つはアラカルトで適当に買っているが、昨日食べた”イチジクレーズンクルミ”パンは大変美味であった。
イチジク、というのがまずありがたい。イチジクはパーフェクトフードである、という記事をどこかで読んで、乾燥イチジクを30個くらい食べると、とんでもない腹痛が襲ってきた記憶があるが、やはり30個は食べすぎだろう。
その分パンであると安心だ。レーズンやクルミもいかにも体によさそうで、食べたときにストレスがない。
出来るだけ保存料が少ないものを食べたほうがいい、ということで、コンビニ弁当を買うのであれば牛丼屋に行こう、と思っている。
閑話休題。
自然と私の精神に出来する思い、というものが、エゴが発するものだ、ということを数日前(昨日?)の日記に書いたような気がするがよく覚えていない。
繰り返しになるかもしれないのだが、エゴが生存本能からくるDNA的生存戦略からの第一次的な、危険予防に沿った反応であることはなんとなくわかる。
そこにはいわゆる「むき出しの生き残り心理」があり、「きれいごと」ではない方の気持ちを惹起する。
それで突き進んで、危険から逃げる(相手を排除する)方が、短期的・刹那的にはいいこともあるだろう。
だが中長期で日々同じような環境にいる場合は、きれいごとではないことを推し進めるよりも、ひねって一回回って「きれいごと」で状態をキープするほうがいい場合もあるだろう。
これが、「思いをエゴの思いのままに捨て置かず、相対して判断を入れよう」ということだ。
嫌なことを言ってくる相手に、脊髄反射的に反抗することも、時には必要だろうが、反抗することで仕返しがあるのでは、と思うことは「住宅ローン的ストレス」になるのだ。
そういうリスクがある関係だ、と思えば、まあ、ぐっとこらえつつ側面からの対応を考える、ということもあるだろう。
だが、エゴの答えは瞬発力を生むこともある。すべて否定する必要はない。腹が立ったからできたこともある。私の例でいうのなら、スクーターのヘルメットを盗まれたので、中型バイクを買った、というのがある。
普通なら中型バイクへの移行は困難だが、怒りがあったので、エイヤ、と買うことができた。災い転じて福にしてやった、という気持を獲たい、と思っていた気がする。まあ、自分を納得させたいいわけは、中型バイクならチェーンでヘルメットを留められる。だった。
まずは出てきた答えを吟味。なんとなく不安に思ったことは立ち止まって検討。
そんな感じで行こうと思っている。
(部屋で背の高いコップはこぼしそうなので蓋つきのタンブラーにしたら、やはり倒しました。で、口がちょっとあいてたので、すこしこぼれましたが、全開でこぼれることは免れました!)
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