日記4月27日 エロイカと論文ときらりとひかることの見つけかた。
学者先生特有の読みにくい文章の、難しい研究書を辛抱強く読んでいると、キラッと光る一行に出会えることがあります。(青池保子)
少女漫画家「家」の履歴書 週刊文春・編 文藝春秋
青池保子といえば「エロイカ」である。あの華麗な世界は本を開いた瞬間飛び出す絵本のように湧き出てくる感があり大好きだ。
その青池さんのこの知見。
学者、というのはいわゆる論文を書くときには、新しい、今までにないことを世間に示す必要があるため、そのことに力が入るわけで、それを関係のない人が読むとその読者を想定していないがゆえに読みにくいものだ。
しかし、新しいものを今までの浩瀚な既存の事実を土壌として咲かせよう、という行為であれば、勢いその土壌への深い理解が基本であり、その理解に接するだけでも、特にその分野に興味があるが理解はない、という読者にはとても役立つであろう。
更に独特の「論文文体」があろうから(私はいままで卒論含めて書いたことありません。。卒論不要の大学だったのです。。)そこがまたハードルが高く、一読砂を噛んでいるようで、さっぱり頭に入ってこないことがある。
これが顕著なのは、論文ではないが、哲学の文であろうか。だが彼らは韜晦しようと思ってそう書いているわけでなく、頭の中に渦巻く思いを、それこそなんとか表現しようと呻吟して絞り出しているのだ。
読んでわからないと、「自分はこの本を読む能力ない」と思ってしまっていたが、上記視点を得てから、まあ、わかるところをわかろう、わからずともしかたない、という境地に少しだけなってきた。
そのことを思い出させてくれるのが、冒頭の青池先生の言葉である。少女漫画は私は大好きだが、素晴らしい物語の裏には、こうした素晴らしい努力が隠れていることが伝わることばだ。
(漫画は最高ですね!)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。