6月15日 死に面したときに、できるだけ良い人生であった、と思えるような選択をする。
心の余裕を生むある程度の理由は、金の余裕でもある。
この数か月手元不如意である。
ある程度気持ちの余裕(=金の余裕)があれば、いろいろな外食の看板も好意をもって眺められるのだが、余裕がないと、ひねくれた気分になる。
このひねくれは、「金がないのに存在しやがって」というルサンチマンである。この気持ちは決して快適なものではない。
だがこういう気持をもったら金が手にはいるのか。そんなことはないのである。
であれば、そういう気持に向き合って、金がなくて、ルサンチマンまみれでいることが果たして幸福なのか、ということを考える。
幸福であるわけがない。
であれば、金がない、ということにまず向かい合う。
その結果、使った費用をメモする(写真を撮る)ということをはじめた。1か月に使える費用を現金、1000円単位で引き出し、必要な費用を袋にわけ、必要な時にはそこから取り出すことにした。
一日の食費は1000円。だがちょっと回らないようなので、一日1500円で食材込み、という方向にした。2日で3000円あれば、ある程度の融通が利くだろう。ジムに行くと1回500円。ドリンクは140円。これもできれば2日で3000円の世界から捻出する。
アマゾンなどで引き落とさざるを得ない場合は、その金を都度銀行に入れておく。そうすれば「引き落としで金がなくなるのではないか」という「住宅ローン的潜在的ストレス」に対応できるのだ。
そして1か月を予算内で乗り切って、もし余りが出ればなにか欲しければ買えばいい。
まあ、10万といっても、家賃や光熱費は別なので、余裕があるものである。だが仕事での飲み会が増えると、割り勘ではあってもなかなか厳しくなっている。
そのあたりが今後の課題で、あるだろう。
(感覚的には、会社の飲み代でほぼ消える感じではあります)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。