12月2日 解脱と離脱と神秘主義と禅。
昨日の体重は66.5キロ(推定衣服重量減),体脂肪ほぼ10%.
結構食べまくっている。まあ自炊ではないのでハレの日と言うことにしよう。
最近エックハルトのメイン概念である"離脱"を知ったが、日々の中で"手放す"を実践すると色々ストレスが減る事に気づいた。
たとえば今寝床でiPhoneにてこれを打っているが、pcでキイボードで打たないと書けないと言う思いこみから少しだけ離脱しつつある気がする。
もちろんフリップ入力できないのでスピードは遅いが、"遅い"も考えてみると架空の世間や平均値と言う比較のワナに囚われた感覚だ。
食事もなんちゃってグルテンフリーから中華を避けて来たが、たまに食べると美味い。餃子やビールは腹パン→腹筋脂肪下隠れへの黄金ルートではあろうが、まあたまに食べるとスンバらしい笑。
その焦りから少し腹筋をやっみると、なかなかいい刺激が来たりする。
食べ物は基本空腹ソースでなんでも美味しく頂いてはいるが、たまの逸脱もまた甘美なわけだ。
エックハルトはどこかの評価で、禅の解脱との類似や、禅で言う覚者に当たるだろう、と言うものを読んだが、確かにそんな気がする。
神を自らのなかを深く覗き込んで見ると出会うものだ、とするのは、外付けであって初めて生業が成り立つ伝統的キリスト教からは異端認定するしか無く、異端認定されたエックハルトや、その思想と近い神秘主義の思想との近似を言われた禅仏教は否定しているやに聞いたことがあるが、
仏に会えば仏を殺す禅の生き方からするなら本当は否定したくはないのだろうと思っている。
ただ禅思想の中に入って問答するのと、表面的にしか思想をなぞれない広報としての公式見解とに差があるのはある意味仕方ないであろう。
だができれば"世間に会えば世間を殺す"と言うダイナミズムが欲しい所だとも思うが、禅と言えども生業の面はあるのであり、そこは少し残念だが致し方ない気もしている。
(禅は神秘主義だ、と言えないなら、神秘主義でもある、くらい言って煙に巻いて欲しいですが〜笑)