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6月3日 いつまでもアマチュア(自戒)。やらされ感をどう超克して(おおげさ)じぶん事にするか。

結果を把握しないで仕事をしていると、二つ
のことが起こる。一つには上達しない。一つにはどうでもよくなる。
                          本田直之

前に会社の偉い人から、「これだけやったのだからうまくいくだろう、と思っている人が多すぎる」ということを聞いて、なるほど、と心に未だ残っている。

人はその人のことが忘れられた時が真の死である、とか2度目の死である、ということを聞いたことがある。

その偉い人、は既に故人であるが、私は総務の仕事もしたので二人でその人の工場視察にかばん持ち的に同行したことがある。

名古屋から松阪までの列車で、名古屋駅で買った鰻弁当をぺろりと平らげる健啖家の方であった。その時既に80歳を超えていたと思う。

そういう思いでと共に、上述の言葉もまた、折に触れて思い出す。思いでのなかで、個人的にはその方はまだ私の中で生きている、といってもいいのかもしれない。

本田さんが言うことばはそれに繋がるものだろう。
やりっぱなし。結果がどうであれ、やったのだから怒らないでくれ。できることはやった。そんな気分のことだろう。だが”責任感がない”と言えるだろう。自責にしていない、というのか。

まあ、私も仕事ではそんなことはよくある。日常の茶飯である。とにかくできるだけ限界まで時間をかけました。結果はイマイチですが勘弁してください。

プロらしくない態度であると思う。無限残業にもつながった。終電がなくなり自転車で帰る、ということもあった。

今はそういうことはなくなった。そういう意味では言い訳ができにくい環境になった、ということもあるだろう。

出来ていないことが怖くて、”結果を敢えてみたくない”という逃げの気持ちは常に私の中にある。

そのことを指摘頂いているという意味で本田さんの言葉は勉強になった。

(仕事が苦手なんですねー(´;ω;`)あと皿洗いでも、きれいにする、という目的が明確ではないので、いつも汚れが残っている、と指摘されてます。”だいたい綺麗であればいいだろう、義務は果たした”というやらされ感が原因ですね)

お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。