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6月29日 ロボットと「原罪」。

今朝の体重は64.5kg、体脂肪率は10.8%であった。ちょっと昨晩白米を食べ過ぎたかな、というかんじであったが、まあまあの結果というところだろうか。

行き慣れた市営のスポーツセンターが改修で休館中のため、とりあえず2か月のつもりで入った24時間ジムであるが、これがなかなか快適だ。

勿論1か月に7000円以上払っているので、一回200円のスポーツセンターより快適であってしかるべき、という感じもあるのだが、市営であれば運営には税金も払われているわけであり、自身で払う金額だけで運用しているわけでもない。

なにが快適か。前も書いたようだが、薄暗いのがいい。煌々と光るなかでやる、というのは、公営施設であれば当たり前という感じがあるのだが、他人が良く見えて気になるのだ。

まあ、集中すればいいのだが、やはり薄暗いと他人の姿や顔つきもシルエットとなり、他人のことをことさら気にせずともいい、という感覚になっている。

更にはこのコロナによるマスクもあり、ほとんど他人の顔はわからない。同じ服装、体格をみて、「この人みたことがあるな」とぼんやり思うくらいだ。

私はジムでは人と基本知り合いにならない。集中せねば、ということと、こちらから声をかけなければあまり知り合いになることがないのがいわゆる私が過ごしてきた社会ルールのようだからだ(とっつきにくいのか?(苦笑))。

そういう意味では、鍛える部位に集中する、というのがよりやりやすい感じがある。やはりマシンも最新であろうから(ここが出来たのは最近のようだ)やりやすさもある。

そういう変化が刺激になり、ややいままでのトレーニングがマンネリルーティンと化していたことを感じた。やはり筋トレにはモチベーションが必要だ。例えば「胸を厚くする」とか。


さて、「原罪」。キリスト教旧教では、アダムとイブが知恵の実を食べ楽園を追放されたことをいうような気がする。勿論正確にはわかっていない。

この「原罪」というものが、一神教のキリスト教では結構人々の根っこにあるのだ、ということを河合隼雄さんの本で感じた(「ユング心理学と仏教」岩波現代文庫)。

私は実は幼児洗礼を受けており、洗礼名もあるのだが、きちんとキリスト教を学んだとはないし、学べというプレッシャーも皆無であった。だが、自身が仏教徒ではないのだ、という感じは幼少期よりもっていた。

お盆はない。親戚の集まりもない。まあ、遊びには行くが。

日本ではキリスト教の「原罪」という事に関する一般の理解はほぼゼロであろう。最近では内田樹先生のレヴィナスやユダヤ教の本を見ていて、「自らが生まれるまえに犯した罪」という発想のことを知った。ここらあたりがキリスト教文化圏で育ったものと、特殊な日本文化で育ったものの違いの一つであるだろう。

「原罪」という発想があれば、とことん突き進む科学技術に関し、なんらかの「歯止め」を持とう、という気持ちがベースにありうるのだろう。意識していなくとも、生まれて育った際の言語化されない環境として。

生命操作には倫理が必要である、という事が言われるが、実際は個別の個人の実験場にどれだけ立ち入れるのか、と思う。罰則で禁止する、ということしか効果がない、というのが私の発想だ。

つまり「個人はどこまでも暴走する」と思っているのだ。

なので、法律をさまざまなケースで張り巡らせて、暴走をとどめよう、という発想にしかならない。

その時、「宗教で歯止めを」などというと、この世にはさまざまな異なる「宗教」があるわけで、そもそもまとまるわけがない、と思う。

だが、すべての宗教の一番の奥底に流れているものは、共通である、という感覚もある。その「どのような宗教であっても認める一番の核心」をなんとか見つけて、それをベースに「倫理基準」のようなものにするしかないようにも思っている。

大変に難しいだろう。

我々日本人は、アトムなどの例を見ても、天真爛漫に人型ロボット創造にアクセスできてしまう心根があるように思う。草木風土悉皆成仏、というのが心の原風景であるからだ。

だがキリスト教をベースとする世界は、厳しい唯一神に裁かれるのが人間だ、という発想があるように思う。これが「原罪」につながる原風景でもあるだろう。

そこでは「人を創る」ことは神の御業となる。人型ロボットを作るときに、若干の逡巡にもなるのだろう。

古く東洋では、人間以外の動物も、絵の主体、主人公となって描かれることが多々あった。しかし西洋では宗教的象徴であれば格別、人間以外の動物のみで絵が構成されることは、少なくとも近代まではまれであったという。

このあたりからして、宗教的原風景の違いを感じるのだ。

(最近飲み屋で出合った、配膳ロボット、見た目は全くかわいくないのですが、発する声があまりにかわいく(ここでいう可愛さはCUTEというより、けなげな感じ)、日本が誇る擬人化技術の深みを感じました)








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豆象屋
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