12月2日 さりげない日常の記憶こそが珠玉である。少年冒険漫画における精神のネオテニーについて。
今朝の体重66.7kg、体脂肪7.5%。
最近2週間ほど風邪気味である。
出張が多く、ある週は月曜四国、水曜福岡、金曜福岡というスケジュールの途中で多分風邪をひいた。
思い起こせば去年も同じような時期に風邪をひいていたような気がする。寒くなる時期に普段は歩き通勤で電車などに乗っていないことから、人込みに蔓延するであろう風邪菌を受け取りやすく、疲れも相まって風邪をひきやすくなるような気がする。
先週も名古屋、今週も大阪、といろいろ動いている。意識して睡眠をとりつつ、なるべく食べるようにしている。
食欲はあるのだ。体重が多めで体脂肪が低いのは、昨日胸肉を300gくらい食べたせいかもしれない(どうやら肉を食べた翌日は体重計は食べた肉を筋肉認定している気がする??)。
野菜や繊維質もなるべく取るようにしている。
まあ、風邪はなかなか治らなくて、版画工房やジムに行けていないが、なるべく休んで睡眠をとろう、という方向ではある。
ということで、今朝は”葬送のフリーレン”2周目を見終わったところだ。
1周めで見逃していたシーンの確認ができたし、ストーリーを追うのがメインな1周目と違い、細部に目を向けることのできる2周目は別の楽しみがある。
見ていて思う、まさに王道の漫画である。それも”少年漫画”。
こういう漫画を外国の読者はどのような感触で見るのであろうか。
直観だが、アジアの人のほうが多分感情移入はしやすそうだ。
ひとびとの気持ちの機微が似ているからだろうか。
日本人はネオテニー傾向があるというが、まさに長寿のエルフは永遠のネオテニーの権化である。
成熟が遅い、あるいは未成熟のまま大人になる傾向のある日本人に対して、多分外人はすこし違和感を持っているのだろう。
(海外ではある程度自身を守るために成熟が求められる気がする)
だが、ネオテニーまっただなかの日本人にとって、少女のままのフリーレンはまさに感情移入のしやすいヒロインなのだろう。
日本人向けの少年漫画であろう、としているのは、多分作者が意識しているものだろう。本作には意識して恋愛的要素をさけている、ということだ。淡い交感、”普通はパーティには色っぽいお姉さんがいるのにこのパーティはどうなっているのか!”という作中人物の嘆き、などを見ても、”安心して”見ることができるネオテニー空間であることが宣言されているようにも見える(ルフィの恋愛って、考えられませんよね。ゴンも)。
たしかに作中で登場人物どうしが恋愛感情を持つかどうかは、漫画を見るときの大きな判断点となる。感情移入しているキャラが、作中で恋愛をしてしまうことは、自身のアイドルが喪失されることでもある。それがいいひともいれば、嫌な人もいる。
少女漫画であれば、主人公の女性に女性読者は自身をかぶせることもできるだろうが、少年漫画の場合、私見だが主人公の女性がたぶん恋愛しないだろう、というお約束が見えることは、安心して作中に沈殿できる重要な要素である。
そういう意味では、少年冒険漫画こそ、精神のネオテニーに対して捧げられているものである。
エルフは長寿にして、1000年以上も少女のままである。
設定がよくわからないが、数千年は生きる感じがする。
指輪物語のエルフもそういう感じがあった。
ということで、精神が中学2年生と高校2年生の要素が混在しているなあ、と最近思う”ネオテニーおっさん”である私は、楽しくフリーレンを見ているのである。
タイトル回収がまだであった。ルシア・ベルリンの本と定道明の本を買った。図書館ではなく購入。
両方とも短編集であったが、いわゆる”ライフログ“感があるところが共通している。
”ささいな”気配でたたずむ日常が実は2度と得られない奇跡の瞬間瞬間の連続であること。
両作ともそういうことをしみじみ伝えてくる文章である。
そしてそれは、人間の”短い”生涯の得難い一瞬を、そのものの重さで感じようとするフリーレンの2度目の冒険譚とも、
共通要素がある気がしている。
掃除婦のための手引き書 ――ルシア・ベルリン作品集 (講談社文庫)
雪先生のプレゼント
(どちらも短編を1作読んだあとの読書感がすごいです)