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3月25日 フリーライダーを気にしなくなるにはどうすればいいのか。


フリーライダーはけしからん。

普通そうなるだろう。ただ乗りするのはずるい。私もそうしたい。

そんな気持ちになるものだ。ではその気持ちをどう扱えばいいのだろうか。


とても難しい問題である。フリーライダーがおるで。叩いてフリーライドさせんようにしますよ。

こういわれれば「それはいかん」ということはなかなか難しい。

そういうことを「政治でやります」と言われれば、「まあ、それはそうせなあかんわなあ」ということに、普通はなるだろう。

人間お互い様。得意なことはひとそれぞれ。お互い苦手なことはあまり指摘せず、いじめないようにしよう。

そういう方向だろうが、そんな甘いことをゆうとったら、組織が、国がやっていけまへんで、ということになるだろう。

なので、相互監視して、「フリーライドしそうな雰囲気の奴」を叩きまくって、なるべくしないようにさせよう、ということに、まあなっているのだろう。

と思って生活してきたが、そういう社会はやはり息が詰まる面もある。いつ自身が後ろ指をさされるのみならず、糾弾される立場になるかもしれない、という恐怖があるからだろう。

結局「自分とその知り合いの範囲」だけよければいい、という発想だからだ。まあ、広く「日本国民」といってもいい。だが「世界」「人類」「地球」「今生」とくれば。あるいは「永遠」。

ちょっと広すぎて責任おえへんなあ、となる感じかもしれない。

だが、その方向に行った方が、息が詰まらない感じもある。だがそんな余裕、どこにあるんや。

今、このあたりに日本人はいる気がする。

(池田晶子さんは、人に「属性」で規定されることを極端に嫌がられました。世代論、性別、年齢、国籍。そんなものより”魂”を見ろ。そうおっしゃっていた気がします。。。)

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豆象屋
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