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6月7日 コロナ影響の変化はあるかな?

先週の飲み会以降、鼻が詰まっているが、蓄膿らしい。

日本人は残念ながら顔的にのっぺりなので、鼻が詰まりやすい、と耳鼻科の先生に伺った。いやあ、鼻はためたくないなあ、蓄財はいいが。

さて、毎日勝間和代さんのメールなどを呼んでいろいろ気づきを頂いている。大変にありがたいことだと思う。視点が違う、それをシェア頂く、良ければ自身も試す。

心の余裕、やってみるは数千円の自由にトライする金が重要だというお話には納得だ。実は先月以来、金というか心の余裕がなく、常に「カネがない、金がない」という住宅ローンのような呪縛的潜在意識的ストレスを感じているのだ。

食費や飲み会(基本受け身=会社関係の自腹)、自炊費用に版画関係、必須日用品を差し引くと、あまり金銭の余裕がない状態をこの2か月過ごしている。

単身生活が半年続いたが、どうやらいろいろ赤字のような気がする。気がする、というのは金の管理を今までしたことがない(=潤沢ではないがある程度の月小遣いがあった)のだが、この小遣いが単身でいろいろ食材食費に消えてゆき、飲み会もコロナ以降増えたので毎月赤字、それで少ない予備費用が減って来たのだ。

だがまあ、生活できているのはまずありがたいし、自炊中心であればなんとか費用はやれそうであるし、できるだけ本や時計を買わないようにする(これが一番難しい)ということでリズムを作っていこうと思っている。

足るを知る、知足、という言葉がある。所有にこだわらず、というのは最近は若い方は自然そうなっていると聞くが、どうしても現物を集めてしまうコレクター癖があるので、これをどうするか、だ。

変に自分を罰するように追い込むことはなく、健康維持あるいは増進(バランスよく食べて、運動を日々織り込む)は忘れない、ということで考えている。

勝間さんはコロナでマスクマストな時期には、交差点で待っているときにマスクをしていないので廻りの視点が気になって、知らず自転車に乗らないようになった、とか、パンを焼くことはマスク生活に関係がないが、なんとなく活動的ではなくなって焼かなくなっていた、ということをおっしゃっていた。

活動的でない、というこころの停滞は、けっこうキイワードかもしれない。動いていると思いつく、やりたくなる、というローリングストーン状態もある。一旦停滞すると、再起動にはエネルギーが要るのだ。動いていれば起動時の大きなエネルギーは不要である。「おっくう」というのは起動時のエネルギーのめんどくささを示している。

最近個人的には自転車に乗っていない。自転車で移動する距離を可能なら歩こう、ということだ。一日1万歩を目指すには、できるだけ歩く方がいい。

電車があると、「その区間は電車でなければいけない距離だ」と無意識に思い込んでいるが、あるいてみると歩けるものだ。特に東京の地下鉄は、区間区間の距離が近い。

すると、歩数が稼げて、電車賃が浮く、というよき循環に入る。まあ、気候がいいのが助かるが、だいぶ汗ばむようになった。雨もまあ多くなるだろうし。

だがまあ、買い物に自転車、これはいいな、と思っている。

(電動自転車、そのうち買いたいと思います)


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豆象屋
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