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日記4月19日(月) #日記  幻獣。

ウイークデイは、頑張ってあるいている。在宅勤務の時は、昼休み時間と定時後の時間に、家の周りをどれくらい歩くと、歩数がどれくらい、というものが分ってきた。
やはり歩数を稼ぐとある程度運動量が稼げるようで、先週は目標としていた64キロ切りを実現した。これがいけなかった。
安心したのか、土日を含み歩数が激減。日曜日などはなんと337歩。一歩も外へ出ず、ゆっくり起きて昼寝早寝、という一日であった。まあ、いろいろな日々があっていいわけで、ゆっくり休養日、ということになるのだろうが、今朝の体重は67.1キロ(朝食前)。体脂肪率12%。しっかり3キロほど戻っていた。

最近の問題は、階段の上下が少なすぎること。東京と違ってここ名古屋ではあまり階段を使わない(なくはないが)ので、平行移動はいいのだが、階段を上り下りするための筋肉をどう強化するかだ。
いちばんいいのは地下鉄の駅へ降りてゆくこと。家の周りを歩いているときに、地下鉄の駅まで降りて上がれば、ある程度階段を使うことになる。

春は冬と比べて外出も、就寝も、普段着の面でも、とても楽である。冬の間はいつも頭の中に、”寒い!“という吹き出しが出っぱなし、という感じなのだが、春はその吹き出しは消えている。春眠暁を覚えず、の言葉通り、いくらでも寝ていられる気もする。いいことが多いのだが、ことトレーニングに関してはいまいち捗らない。

個人的にはトレーニングは冬が一番やりやすい。なぜなら寒いからだ。寒いので、気合入れて重量をこなして身体をすこしでも温めよう、という風に感じるのである。これが春になると、過ごしやすすぎてぼやーっとしてしまう。これから夏になると、最近はコロナで空調しても換気する、ということで、室内温度が高かった(去年の経験)。トレーニング前にすでにとても暑くなっている。追加で暑くなるのはちょっといやだなあ、と感じてしまって、気合が入りにくい。汗だくだ。

ことしはこのあたりの精神状態をどうしてゆくか、というあたりが、課題になるだろう。

幻獣について。

銅版画を始めて6年ほどになるだろうか。出来上がりはペン画とあまりかわらないのだが、何枚も同じものが作れること、下描きと本作が別であること(ペン画も下描きと本番は別であることがあるかもしれないが)が大きな違いかな、と思っている。

ペン画よりもすこし手間がかかる。なので、ペン画よりも総製作数が限られるだろう。そうするとなんでもかんでも思いついたものを描く、というわけにもいかず、何を描こうか、どんなテーマなのか、どこから資料を持ってくるか、などという構想をする時間が比較すると長くなるというのが実感だ。森博嗣氏は小説製作は一人でできる作業だ、とおっしゃるが、絵画も同じく独り作業がほとんどだ。中世の工房であれば、師匠の名作を工房員が真似て製作する、ということがあろうし、江戸時代の浮世絵も、原画、彫り師、刷り師、という分業体制があったと思う。版画も例えば西欧で写真がメジャーになる前は、ニュース的に使われていた時期があり、そのころはやはり原画、彫り師という区別があるのが一般的であったろう。

今私は自分で原画を考え、自分で彫り、腐食して、自分で刷っている。これは当たり前のように思っていたが、考えてみると版画家が全てをこなすようになったのは最近なのかもしれない。

小説にしても、絵画にしても、創造の為必要な行為は例えば映画製作と似てはいる。もちろん映画は資金調達、スタッフ集め、さまざまな製作会議等々があるだろう。そういう面では一人では困難だ。ジャック・ドュミのように少年期には一人で製作した人もいたのだが。

似ているのは”こういうものを作ろう”という気持ちを持ち、場を確保し、そこで製作を進める、という過程だ。アイデアを模索し、必要であれば(脳内の場合もあるが)資料を集め、素材を集める。この過程が、愉しいのだ。

一人であれば、明確な完成形のイメージはなくとも、書く、あるいは描く作業を進めるうちにできてくる、という製作法もある。自らの内にある源泉を掘りながら、進める感じだろう。これもまた楽しい。

私は銅版画を始めるときに、なんとなくこんな世界を追求したいな、というものがあった。子供のころから自分の中にある現実とは別の世界。幻想、というとそれらしいが、自分の中では実は幻ではないのだが。

幻獣、というものが一つの好きなテーマである。第一作は人魚であった。それからもいろいろと半人半獣な人たちを好んで描いている。

幻獣好きになったきっかけはなんだろうか、と今朝風呂で考えた。今の仮結論は、永井豪の妖鳥シレーヌだろう。シレーヌ、という存在をデビルマンを読んで知ったときのインパクトが、結構なきっかけであったようだ。

デビルマンでは永井はさまざまな悪魔や妖怪のイメージを引用している。子供であった僕はそれを見て文字通り衝撃を受けたものだ。

現実にするどくチャージしてくる悪魔たち。現実と幻想の暴力的な融合。永井豪がこの時代に与えた衝撃は、その後の時代にも大きく影響していると、感じている。

(凄ノ王や、イヤハヤ南友、あたりもすごかったですね)

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豆象屋
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