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一度死んだから言えること!

◎転院間近

室内でのリハビリから、リハビリ室でのリハビリへと移行し、立ち姿勢からの歩行訓練が始まりました。

ですが何度も言いますが、動悸が異常なままでして、座位までは何とか15分まで耐えれても立ち上がる事がかなり困難でした。

その頃の担当PTはちょっとユニークな人だったので、うまく煽られながら何とかこなしてましたが、いよいよ歩行訓練となると、そうは行きません。

背の低い平行棒に掴まって、端っこまで6m歩くのですが、これがしんどいの一言なのです。動悸の問題に加えて臀筋の力が下がっていて、立位を維持するだけでも一苦労。

ここでの訓練は病室の担当PTでは無くて、私を虐めたあのPT二人組でどうやら上役らしいのです。そしてそのゴールにこの二人が待っていて、ビデオ撮影を相変わらずしているのです。

私は転院の噂が出ていたので、一刻も早く帰るためにも、ここで揉める訳にもいきませんから、知らない顔をしていました。

もちろん腹の中は、煮えくりかえっているのですがね(笑)人が弱っている時に、笑いながら撮影をしていたなんて、許し難いものです。同じリハビリ科に勤務していた自分としても、こんなPTは許せないと思っていました。

でもこの悔しさがリハビリの熱意となるのですから、人のやる気とは難しいものです。

この頃にはスマホがようやく手元に来て、昼間の間なら何とか自由に家族と連絡が取れるのですが、さすが病院だけあって電波の繋がりが悪くて、何度も切れてしまいます。

そんな中でスピーチで声が出るようになってから、初めて電話して家族と話した時に、またまた大泣きしてしまいました。

嬉しかった。3ヶ月ぶりに話が出来て。そしてお互いの苦労を伝え合い、私もあの2人のPTの事も伝えました。もちろん家族は激怒してましたー💢

その中で転院の打診があったとも聞きました。いよいよかぁって思いでした。特化型病院ではリハビリは専門では無いので、転院先へと回すのが一般的らしくて、設備の良いこの病院を出るのは残念でした。

変な矛盾ですわ(笑)

そんな中で長男が専門学校を年末で、自主退学をしたと聞きました。もちろん家計を心配しての事だと思いますが、私の見舞いで休みが多くなり、「毎日登校して穴埋めしないと単位が取れない」と言われた事から、親父が大切だと腹を決めて辞めたそうです。

申し訳ないと泣きましたが、今では彼が彼らしく生きている姿を見ていると、良かったんじゃないかなと思っています。

ちなみに声優の専門学校でした。この話も色々とあって、別途書きますね〜

そんな息子から家族との向き合い方で相談を受けたので、家長の難しさをシワガレ声で伝えました。

誰かにはなれない

彼は倒れた父親の代わりを背負った

頑張れば頑張るほどつらくて

イライラしてくる

だけど自分がやらねば家は終わる

責任感が重すぎると泣いた

家族を壊してしまうと泣いた

『君の頑張りは良くわかる』

『でもね君がお父さんを背負うことはできない』

『君は君しか出来ないんだ』

『どんなにまねてもその人にはなれない』

『だったら君がお父さんになれば良い』

そっかあ!と彼は再び立ち上がった

そうして彼はいま父親として家族に慕われている



続く

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