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一度死んだから言えること


◉心の老化

前にも書きましたが、人は歳を取ることを簡単に老化と言いますよね。Wikipediaには次の様に書かれてあります。

『学術分野では発生成熟、老化などを含めた生物の時間変化すべてを含む言葉として「老化」を用いる。例えば、動物が生まれてから時間が経つに従って、活動性が低くなりやがて死に至るのも、「老化」と表現されるが、その起こっている事象は全く別であると考えられており、混同すべきではない。

この通りだと思いますね。確かに加齢による機能的な低下なのですが、皆さんが面と向かって「老化ですね」と言われた時にどう思います?

ムカっとしませんか?例えば私は64才になりましたが、数字的にはシニアに分類されくたびれ感を想像してしまう年齢です。

でも私と出会った人は一様に「若いですね」と言ってくれます。

そう!数字の持つ老化イメージと実物は離れているものなのです。別に若返りたくもないし、若さを羨むこともありませんけどね(笑)

歳を取るのは生物学上は当たり前で、老いると言うのはいつか滅する為であり、老化は結果的に起こるものなのです。でも、老化したかった訳じゃないんです。

そもそも歳を取ると言う事は、それまで経験をして来た事が、自分のうちに満たされている状態なのです。

確かに機能は死に近づくに従って低下するもの。それは確かな事です。そうで無いとスムーズに死ねませんからね。

生き切って死ぬ。人生を駆け抜けると言ったものが【全生】と言う考え方なのですが、なぜか皆さん長生きをしたがっておられる。

そして、歳を取るとは生きて来た歳月と経験が自分の核となり、人生の知恵者となる事なのです。

それを昔は賢人とか賢者と言ったのですが、今の時代ではそんな老人たちが居なくなって来ている様に見えます。

私の住んでいる場所は市場もあり、高齢の人も多い地区です。その市場には安さもあって日柄一日中高齢者たちが買い物に集まって来ます。

つまり賢人の宝庫・・・のはずなんですが、多くの方が交通放棄を無視して横断される場所でもあります。老いてこそ若者の見本にならねばならない筈なんですがね。

まぁ批判したい訳ではなくて、こういう状態の高齢者を老化だとか老害と一括りにしてしまうのも違うなぁと思うんです。

老化とは機能低下という意味で、あくまでも状態を表したいるものであって、歳を取った人を表しているものではないのです。

なぜそんなに歳を取ることを怖がるのか不思議です。歳を取る事で色んなものが理解されて見えて来ました。素晴らしい事だと私は喜んでいても怖がる理由は無いのです。

でも今の高齢者さんはなぜか怖がっています。口では早く死にたいとか言ってますが、それが真実なら朝から病院に行って並ばないと思うのです。

やたらと健康を気にして色んなサプリメントも飲む必要はないでしょう。私の母方の祖母は月に10万円くらいそんなものに使ってました。

で最後はボケて特別病棟で、医者も看護師にも看取られずに、深夜遅く肺炎で亡くなりました。

そんな事を書いていると面白い事に、老化細胞の話がテレビから流れて来ました。老化細胞を変えて若々しい体になる研究らしいです。自慢げに仰ってました。

いやそんな前に心が老化していては意味がないと思うのです。そう!一番怖いのは老化を恐れて、心が老化して行く事なのです。

続く



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