見出し画像

一度死んだから言えること


◉すべてを乗り越えて退院へ

2月の頭にリハビリ病院へ転院し、その際の特化型病院の担当PTの評価点は、わずか50〜60点程度でした。この点数はかなり低い評価と会う意味なんです(笑)

そこから考えて、新たな担当PTが下した判断は、「半年はリハビリが必要ですねー」「早くて8月か秋口になるかもです」と言うものでした。

その声を聞かながら、内心は焦りまくりました。「それでは仕事も家庭も終わっちまう」と感じ、「何としてもこの状況をひっくり返したる!」と密かに誓いました。

確かに、それからの毎日は死ぬ思いで、喀痰や吸引による窒息に加えて、さまざまな意味での伏兵にやられて、家族にも会えず涙涙の毎日でした。

今は様々なことが笑いとなりますが、当時はそんな余裕もなく、「ありがとう」の言葉をいう事で自分も周囲も変化してからは、皆んなが助けてくれる関係となりました。

そうやって、病棟を巻き込みながら退院へ向けて励んできた事が、その後の人生に良い経験になった事は確かです。そこで掴んだモノで、セミナーもさせて頂きましたしね😊

その中でも以前も少し書いたように、退院が見え始めた頃には、あの介護士のボスがとても親切になって来まして、私のために午後からの入浴を何時も一番にしてくれました。

オマケに大入浴場を一人貸切にしてくれ、私の背中を丁寧に洗ってくれて、ゆっくり浸かれる様にと、入浴時間も他の人よりも長めにしてくれました。最初の喧嘩売られた言い方なんてどこ吹く風みたいなね。

転院当初の煽りみたいな嫌味も無くなり、それどころか会うたびに何時も笑ってくれるようになりました(笑)そう意味でも気持ち良く退院へ向けて頑張れたのも彼のおかげでしょうね。

その他にもお風呂担当の介護士さんたちも、何かにつけてやって来ては、何時も笑いを提供してくれ、看護師さんたちも定時のチェックを終わっても、必ず話を少しして帰って行くなどが当たり前となりました。

担当医にも、私を中心に病棟が動いているとまで言われて、少し照れ臭かったですが、こうやって意識が繋がってにこやかに退院していける事は幸せなのだとつくづく思いました。

気がつくと外はすっかり春になって、リハビリ散歩では毎日が花見三昧をさせてもらい、それも散り始めて行く寂しさと共に、その全てが退院に向かってに動いているのを実感しました。

まぁ本当は6月の第一週で退院できたのですが、総看護師長さんがダメダメと訳のわからないストップをかけたので、そこを何とか拝み倒して晴れて6/10が退院日となったのです。

「ようやく帰れるぞ!なんか家の匂いがして来た!」そんな感じでした。

続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?