挑む~感動ポルノで終わらせない
12月22日の午後、「がんノート」に歴代ゲストとして出演させていただきます。
その時に、今年を一文字で表すとしたらと聞かれるとのこと。
迷いなく、私はこの文字を選びます。
【本気に変わったのは、10月だった】
9月の末、私はTwitterで発信をする医療者のシンポジウムに行きました。
参加の動機は興味。
登壇する医師の方々に、単に会いたかったのです。
でも、参加後、私の中で行動変容につながる芽が
芽生えていました。
入り口は興味でいいんだ。いや、興味なのだと思いました。
興味を持たなければ、心は開かない。
そして、もうひとつ。
『興味で終わらせたら、伝わったことにはならない』とも思いました。
私は、医療情報に翻弄され、大きな後悔をしていることをベースに
今年、全国胃がんキャラバンや、これからがんになるかもしれない人にこそ
がん情報をという「グリーンルーペアクション」の発起人代表をしています。
イベントからの帰り道、はっきりと、「私の役目は知りたい気持ちに繋げる入り口なのだ」と思いました。
「徹しよう」と心に決めました
【伝える場なのか、ファンの集いなのか】
実は、私に行動変容を起こした9月末のイベントで、私は、とても不思議な想いで、その空間を見ていました。
たぶん、集まている方々の多くは、マスコミの方や、Twitterのフォロワー。
登壇者へのyesに溢れ、休憩時間には、名刺を持って、登壇者の前に長い列ができていました。
そして、自分の後ろに長い列ができていても、まったくお構いなしに
自分のことを話し続ける光景を、私はぽかんと見ていました。
「素晴らしいシンポジウムなのに、閉鎖的な空間だな」と正直、思いました。
そして、もしかしたら、共感者の熱が、広く情報が届きにくい壁を作ってしまっているのではないかとも思いました。
【同じ光景を見たことがある】
私が登壇者として参加した、ある大きな、がんのイベントがありました。
そのイベントは、チケット制で、結構な金額なのに、あっという間に売り切れて行きます。
希望しても参加できない人がいました。
イベント当日、自分の登壇前にトイレに行こうと会場を出た時、同じフロアにあるカフェで、多くの方が、休日の午後を楽しんでいました。
「あちら側とこちら側」
イベント会場の中では、今、このイベントに参加しているという熱気に溢れていても、一歩踏み出した空間にはまったく届いていない。
本当に情報が必要な人に届く前に、仲間意識が壁を築いてしまっているのではないか
ショッピングモールや街頭に飛び出し、がんの話をしようという「グリーンルーペアクション」に挑んだのは、ここに原点があります。
【感動ポルノで終わらせない】
夫がスキルス胃がんと言われたあの12月から6年が経ちました。
夫が立ち上げた患者会を引き継ぎ、発信を続ける中で
私は「感動ポルノ」「メンヘラ」という言葉を浴びました。
ちょうど2年前の今頃は、その最中にいて、私は毎日、死にたいと思っていました。
でも、今、振り返ると、それは言われて当然だったのかもしれません。
私に覚悟が足りなかった。
わかってほしいという個人的な気持ちも、そこにはあったのではないか。
私は「かわいそうな人」だと思われたいわけではない。
だとしたら、自分をどう使うかなんじゃないか。
そのことをハッキリと意識したのが、今年の9月末のイベントからの帰り道だったのです
【無知でかわいそうなおばさんと言われても】
以前に、戦地に赴く看護師さんとお話したことがあります。
その方の言葉が強烈でした
「小さい時にテレビで戦争の様子を観た時から、私は戦地に行くことを当然としか思っていない」
慈善活動ではなく、当然だから行くのです。
私は、以前から、周囲に、SNSで自分のことを書くなら、公開範囲を限定したらと言われてきました。
フクロモモンガを飼っているとか、日本酒が好きすぎて唎酒師になったとかと同じように、がんに関することも、私の一部です。
もし、患者会代表をしていなかったら、SNSをやめていたかもしれないなと思うことはあります。
でも、今の私には、発信は当然のことなのだと感じています。
繋がりは、がん関連だけではなく、学生時代からの同級生や、知人など大勢の方がフォローしてくださっています。
だとしたら、これからがんになるかもしれない人に「へぇ」が届けられるかもしれない。
表に出れば、いいことばかりではありません。
エゴサーチはしませんが、それでも、目に飛び込んでくるコメントはあります。
先日、NHK総合の『フェイクバスターズ』に顔出し、名前出しで出演したことにも反響が大きく
「無知でかわいそうな、車3つのおばちゃん」という書き込みも読みました。
「いや、トドロキだし」と笑いました。
それを笑えるようになったことが、発信に覚悟が伴った証かなと思っています
【私の役割は、あと1年だと思っている】
私は57歳です。もし、10歳若かったら、私は自己開示をしていないかもしれません。
自分が全力疾走できる期間は限られていると思うから、どんといけるんじゃないかと思っています。
以前、がんノートに出演した時に、もう自分の最期が目の前に来ていることを感じながら夫が伝えた言葉
『希望~自分らしく生きる』
どんな状況になっても、そのことから逃げなければ、その状況の中にも必ず希望がある。そして、自分の特性をしっかり活かして生きること
それを、夫は言葉として遺したのだと思っています。
私は「なんで、私の人生はこうなのか」と思ったこともありますが
これ、もしかしたら、私の特性なんじゃないかと思えたら
自分の人生は、なにもかわいそうじゃないし、豊かな日々だったとすら思えてきたのです。
だったら、これを精一杯使おう。
それが、私が取材を断らず、自己開示に迷わなくなった理由です
【易しさを求めてはいない】
いろいろな場面で、医療者とお話すると、必ず出て来るのは
「言葉をつくしても、患者家族には届かない」という言葉です。
今年、無謀だと言われつつ、胃がんの全国キャラバンに挑戦する時にも
「藁をもすがる想いの患者に科学が理解できるのか」と言われました。
私の想いは、yesです。
もちろん、全ての人に届くとも思っていませんが、知る機会があれば、理解できる人は多いということを、キャラバンを通じて実感しました。
ただ単に、医療者が、または発信者が、科学の話をしても、冷静になれない人の心は開かないと思っています。
『人は、自分の都合のよい情報を選んでいる』からです。
どんなに、国立がん研究センターの情報サイトが素晴らしいと伝えても
そこだけをストレートに見るだけに留まらず、あちこち検索をするでしょう。
でも、「動物実験での効果が治療に結びつくのは1パーセントくらいしかない」とか「エビデンスレベルのピラミッド」のことを知っているかどうかで、情報の選択が変わっていくのではないかと思っています。
当事者になる前に、いかに、それを届けるか。
その入り口として、興味というものは大きいのではないかと考えています。
ひとの失敗から学ぶことはたくさんあります。
歴史を知ることは、未来に繋がることだと聴いたことがありますが、
失敗を知ることが、より良い道に繋がるのではないかと期待をしています。
【幼稚園の先生だった経験】
私は、幼稚園教諭を長年してきました。
多くの大人が「こどもには、何回言ってもわからない」と言うのを
何回も聴いてきました。
私はそうは思わなかったのです。
伝わらないのは、伝え方が合っていないから。
どんなこどもでも、自分が嫌な思いをすることは避けたいと思っています。
だから、「こんなことをすると痛い」「こうなると悲しい」という入り口で伝えると、自分のために知りたいと思えば、耳を傾けるのです。
それは、医療情報も同じなのではないかと思っています。
「こんな目に合うのは嫌だから、ちゃんと知りたいな」という入り口になれるかもしれないというのが、私の持ち味なんじゃないか。
その入り口さえできれば、内容を易しくする必要はないのです。
かえって、真剣に伝えてほしい。
自分の役割を意識して、あと1年、思い切ってやってみようと思います。
来年の今頃、私はどう思うのか。
それも楽しみにしようと思っています。