普及・啓発ってなんだろう
以前、幼稚園教諭だった時、よく聴いたのが
『何度言っても、この子はわからない』という言葉でした
『何度言ってもわからないということは、その伝え方がお子さんに合っていないということではないでしょうか』と言うと、たいてい、相手にキョトンとされました。
集団生活に溶け込み、誰とでも仲良くすることが、子どもの人生を豊かにすると思い
大人は、子どもに『集団生活を順調に過ごして欲しい』と願います。
でも、誰だって自分に嫌なことをする友だちは嫌いです。
積み木でお城を作っていたのに、友だちが積み木を持って行ってしまった。
トンネルにするには積み木が足りない。だから、たくさん使っているところから持ってきた。
積み木を持っていかれた子が泣くと、たちまち、積み木を持っていったこが「悪い子」みたいになってしまう。
さらに、泣いていた子が「いいよ」と言えば、その子は、なんて優しい子となる。
そうでしょうか。
お城を作っていた子は、確かに一人で積み木をたくさん使っていました。
泣いたのだから「いいよ」じゃないはず。「急に持っていかれたから、悲しかった。この積み木がなくなったらお城が壊れる」と相手に伝えばいいのです。
一方、積み木を持って行った子も「トンネルを作るのに積み木が足りないから、とても困っている。少し貸してもらえるかな」と相談してみれば、泣かれたりしなかったのかもしれない。
そこで大切なのは『お友達なのだから、譲り合って仲良くしましょう』ではなく
『この場合はどうしたらよかったのかな』と考えること
何が嫌だったのか、困っていたのかは、人、場面によって一律ではないのに
「仲良く」という一つの言葉でおさめようとすると、『何回言ってもわからない』子どもを作り
本質を理解しないまま従っている子が「わかっている子」となっていくように思ったのです
どうすればよかったのかを考えることは、当事者だけではなく、それを見ていた子どもたちにも考えるきっかけになっていたと思います。
「なんで伝わらないのか」
そこには、たいてい、それぞれの気持ちがあること。
その気持ちを知り、そこを認めると、ぐっと理解は進んでいくということを、幼稚園の日々で私は子どもたちから教えてもらっていたのだなと思います。
最近、『普及・啓発ってなんだろう』という想いを強くしています
そのたびに、幼稚園で子どもたちと過ごした日々を思い出します。