【母のこと】
今朝の『エール』を観てから、やらなくてはならないことが山積みなのに、茫然としています。
母のことを思い出したからです。
私は母を実家の火事で亡くし、火事から来年の1月で7年が経とうとしているのに、実家があった場所に行けないでいるということを、時々、話しています。
それは、火事へのフラッシュバックではなく、『母は幸せだったのか』ということに潰されそうになってしまうからなのです。
母は、昭和7年生まれだったので、戦争を経験しています。教員になる夢を諦めた話を子どもの頃から聴いていたことが、私が教員になったひとつの理由だったのだと思います。
大家族に嫁ぎ、私は、こどもの時から、いわゆる『渡る世間は鬼ばかり』状態を見てきました。
父は優しい人でしたが、転勤族でした。子どもながら、父の転勤についていくことになった時、ほっとしたくらいです。
でも、祖母が認知症になり、父は単身赴任をすることになりました。
私が中学2年から23歳になるまでの9年余り、体験した祖母との日々、誰の力も借りられず、母は祖母を看てきました。祖母を看取った後に、今度は母の両親に介護が必要になりました。
40代から始まった母の介護の日々は20年近くに及んだことになります。
親を看取り、父が定年退職となり、これから二人で人生を楽しもうと話していた時の顔をはっきりと覚えているのですが、その直後に、父が大動脈解離で帰らぬ人となってしまったのです。
私は母を呼び寄せたいと思いましたが、それもかなわず、ひとり暮らしだった母は、火事で亡くなってしまいました。
電化製品からの出火を消火器で消そうとして、煙にまかれてしまったのが最期です。
歌、映画、野球、韓流映画など、母は、好奇心が強く、いつも気持ちが柔らかい人でした。
大変な毎日でも、笑顔を忘れず、いろいろな歌をうたってくれ、話をしてくれたことが、今の私のもとになっているのだと思います。
それでも、いつも『これから』という時に、思っていた道が経たれてしまった母の人生を思うと、私は娘として、もっと何かできたのではないかという想いが消えません。
母は、友だちの多い人だったので、今朝の『エール』での鉄男さんの言葉が
響きました。
自分の努力だけではどうしようもできないことがある。
準備をしていても、思いがけないことも起こる。
母は、最期に何を思ったのかなと。
鉄男が、様々な想いを胸に、母校に行ったように、私も、いつか、実家があった場所に行ける日が来るのかなと思ったのでした。