私はこの目で見ることはないだろうと思う

高齢者のワクチン接種予約について
『なぜそんなにしたがるのか。
リダイアルしている高齢者の姿が不思議である』
との内容を投稿しているのを読みました。

そこに『買いだめの心理と同じ』『孫に会いたいんじゃないか』とコメントがついていくのを読み、心が塞ぎました。

感染拡大防止のために、接種の順番は行政が決めたことであり、その通知、予約方法が各自治体によって様々。
高齢者が我先を争っているのではありません。
接種票が届き、そこに記載されていることに懸命についていこうとし、場合によっては電話が繋がらないことに大きな不安も抱いているのです。
さらに言えば、接種をしても、孫に会っていいということではないのではないでしょうか。

それぞれの人の自分の立ち位置から見える光景は違うのだと理解しています。

ただ、常日頃、『誰もが暮らしやすい社会』『協働』を目指して行動している人たちの中にも
このような考えがあり、さらにそこに『そうだよね』が集まっていくのは、なんとも虚しいと思ってしまいました。

私は、厚生労働省の国民向け人生会議普及啓発検討会委員をしています。
その会議では、このコロナ感染からの医療状況下、ACPがトリアージにならないようにという危惧もしています。

自分の経験、患者会で接してきた1,000人あまりの患者さんの選択からも、人は自分の純粋な想いだけではなく、『社会のこうあるべき』『迷惑をかけたくない』という心理が選択に大きく影響することを感じています。

医療がひっ迫している地域では、酸素飽和度が70%台の人しか入院できていないと知りました。
夫は、最後の日々、呼吸苦に苦しみました。
それが90%台でも、どんなに苦しい状況であるかを知る者として、70%ということに驚愕します。
自分の大切な人がもがき苦しんでいるのを見て、冷静に『延命は望んでいませんでしたから』と言うことは、なかなかできないことです。
さらに、その医療行為が『延命』なのかどうか、冷静にはなれない状況では、正確に判断することは難しいです。
延命は望まないと伝えていても、苦しかったら助けてくれと思うのが自然なことだとも思います。

ワクチン接種は、社会全体を守るためであり、予約が取れるまで連絡し続けることは、決して利己的な心理ではなく、ワクチン供給量が予約受付に影響していることを理解している人も少ないように思います。
感染予防をしながら、筋力を落とさないようにと、早朝に散歩をしている高齢者がたくさんいます。
今朝も見た悲しい光景。
私自身、誰もが暮らしやすい社会になることを願い、誤解による偏見をうまないように理解に繋がる発信をしたいと活動していますが、最近、私はこの目で、その社会を見ることはないだろうと思っています。

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全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。