『選べるなら、今、死にたい』~血液クレンジングが蘇らせること~

数日前から、血液クレンジングの記事が、あちらこちらであがっています。

血液クレンジングというのは、血を採り、そこになんらか

(オゾンとか)を入れて、再び体内に戻すというものです。


私は、よく、夫を助けたい一心で『ニンジンジュース』を狂ったように作った話をしていますが、実は、それは氷山の一角であり、この血液クレンジングをはじめとして、高濃度ビタミンC点滴、フコイダン、しいたけ由来のサプリ、温熱器、食事療法…など、様々なものに突っ込んだ過去があるのです。


中には、医師に薦められたものもあります。

温熱器はそうです。

他、『中国では抗がん剤として使用されている』という漢方を

地図を頼りに事務所を探し、月10万円払って買いましたが

それも、医師からの勧めでした。


前にも書きましたが、夫はまったく信用していませんでした。

それでも、私のするがままに受け入れていたのは、

自分が死んでいくから。

死んだあとは、家族を守れないから、せめて、心残りがないように受け入れることが、自分に出来ることだと思ったからなのです。


彼は馬鹿ではありませんでした。

自分の状況を受け入れ、命の限りをみつめ、

その中で、最期までどう生き切るかを考えることができる人でした。

そんな人に、私は狂ったように、根拠もないことを与え続けてしまったのです。


『今、死を選べるなら、今、死にたい』


夫は、とても強い人に思われていますが、自分の命の限りとともに

告知を受けた時、

『死んでいくなら、心配させても結果は同じなんだから

他の誰にも知られたくない』と引きこもりました。

みんなは、日常を生きている。

そんなところに、自分の病のことを話しても

心を痛めさせるだけだし、自分も

『あの人、死ぬんだな』と思われたくないと

本当に外に出なくなりました。

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私は、夫の告知後、少し経って離職したので

『あれ?なんで平日なのに、買い物しているの?』と言われるのが嫌で

やはり深夜にやっている店に、隠れるように買い物に行きました。


2人で、過ごす時間の中で、夫がつぶやいたのが

『死ねるなら、今、死にたい』という言葉です。


抗がん剤治療は延命ですと言われました。

死は確実にやってきます。

その間、抗がん剤の副作用を我慢して過ごすことに何の意味があるのか。


もう子供も成人していました。

親より前に死んでしまうことが、一番の心残りでしたが

カウントダウンの毎日で、心身の痛みに耐えるならば

今、もう人生を終わらせたいと言ったのです。

でも、それを選んだら自殺です。

医療的には、本当にもうこれは辛さしかないという終末に

『終末期鎮静(セデーション)』というものがあっても

今はそれを選べない。

私は彼を失いたくないのはもちろんですが、そんな彼を少しでも助けるのは

私しかいないと思ったのです。


どんなに隠しても、なんとなく、夫が病であることがもれていきます。

画像2そんな時、まわりの人からかけられるのは

『あなたが支えてあげてね』という言葉。

そして、親戚や親しい人からは、上記のような療法の切り抜きや

サプリメントの1カ月分、医療本が送られてもきました。


その時に言われたのが

『命はお金に変えられない』という言葉です。

お金に困るなら、貸すとも言われました。


私は、『やらなくちゃいけないのだ』としか思えなくなりました。


今、血液クレンジングの話題を読むのは、本当は辛いです。

自分の馬鹿さに向き合うことになります。

『その立場になったら、誰にでも起こること』と言われても

取り出した血液にオゾンなどを入れて体内に戻すなんて

普通の精神状態なら、変だと思えます。


『クレンジング』

この言葉が魅力的でした。

他にも、

『免疫力』

『天然由来』

全てが優しく、

間違いを直してくれるように思えました。


施術の最中、また、サプリメントや食事療法ならトライしている最中

同じ言葉を浴びせ続けらます

『効かないのは、量が足りないから』

『効果はだんだん現れるから、それまでやめてはいけない』

『始めたのが遅かったから、回数を増やしましょう』


洗脳に近いものです。

そこに、成功者?の写真を見せられる。

全て、どれかが欠けてもダメなのだと思いました。

私の退職金をつぎ込みました。


でも、とうとう、おかしいと思わざるを得なくなるほど

夫の体調が悪化し、そこで、目が覚めてからは

言われる言葉が違いました。


『どうして、そんなことしちゃったの?』

『お金があるからできたのよ』


全否定です。

私は、この後悔を一生抱えて生きていくと思います。

それはそれで、仕方ないのです。


でも、今、『血液クレンジングはインチキ』という発信を読みながら

本当にそうだと思い、リツイートしながら、自分の中で何かが崩れていくのも感じています。

優しいウソでも欲しかった

そんな愚かさは拭い去れません


私の場合は、原因は、

科学的に捨てられたと思ってしまったことにあります。


希望の会は遺族が多いのですが、中には

『自分の検索力がなかったから、こんなとんでもないことをしてしまった』という後悔もあるし

『そんな療法、知らなかった』と、今更ながら驚く人もいるし

『なぜ、止めなかったんだろう』という後悔も根強くあります。


胃がんキャラバンに挑戦する時

『藁をもすがる患者家族に科学が理解できるのか』と医療者に言われました


グリーンルーペアクションに挑戦するにあたっては

『一般の人に知ってもらおうなんて、そんなに有名になりたいのか』という

声も届きます



今、学校教育に取り入れられている『がん教育』

私は、いくつも参観しましたが、

「命の大切さ」にフォーカスしているものが多いように感じました。

中には「思えば叶う」という内容もありました


実施している県に問い合わせたところ

「やることが決まっているから」という回答が来ました


私は、命の大切さを知らなかったわけじゃないのです

愚かな行動は、命を見つめたからしてしまったことです。


科学にハードルを感じていた。

冷淡な優等生に切り捨てられたと思ってしまった。


でも、自分の過去を振り返ると、

科学を知ることこそが

偏見を少なくし、過度な期待を持たせない有効な方法だと思うのです。


私は、血液クレンジングのようなことを取り上げて

きちんと発信する人、メディアを応援しています。

だからリツイートもしています。

ただ、ともすると

「とんでもない」ということが理解できたことで

経験者が自分を責めてしまう可能性もあるのだから

それは、誰にでも起こりうることなんだということを

大きく取り上げてほしいと思います。



「傷つくなら、発信しなきゃいいじゃない」とも言われますし

「あなたみたいに強くなれない」とも言われ、それはそれで

重くのしかかってもきます。


それでも、発信していこうと思っているのは

私は強いからではなく

強さがあるとすれば、悔しさが強いのかもしれません。


そして、後悔がどんなに苦しいかを、今も、身をもって感じ続けている

それだけのことです。

全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。