望まない延命と結婚式の狭間で
新型コロナウィルス感染症の影響で、3月末までに予定されていた学会、セミナーなどが、次々と中止、延期になっていきます。
対応にバタバタしつつも、遠方に出かけることが無くなり、心身は少し楽である日々です。
3月にNPOとして設立から丸5年を迎える希望の会。
この時間は、初心、今までの日々、そして、これからをみつめる機会なのだと思います。
【結婚式を楽しみにしていた人】
希望の会の会員で、4年前の今日、結婚式を挙げるはずだった人がいました。
手術、化学療法を受けながら、仕事をし、大切な人との結婚を迎えようとしていたのです。
スキルス胃がん患者の彼女の結婚には、お相手の方はもちろんですが、
ご両家にとっても、状況を理解し、受け止めた決断でした。
前年の年末にお会いした彼女は、とても奇麗でした。
よく笑い、輝く姿に、誰もが、結婚式を迎えられない状況になるとは思っていませんでした。
【突然の頭痛】
年が明けた頃、一本の電話が夫にかかってきました。
彼女の妹さんからでした。
激しい頭痛を訴えているが、原因がわからない。
希望の会を支えてくださっている医師の方々にもご相談したところ
癌性髄膜炎の可能性が浮かびました。
そして、その推察は当たっていたのです。
彼女は、入院し、毎日、激しい痛みの前に、声をあげている状況になりました。
【決断を迫られる家族】
彼女とご家族は、しっかりと今後について話し合っていました。
いわゆる人生会議です。
そのひとつが、結婚式を挙げることであり、
もうひとつは、延命を望まないことでした。
患者さんの状況は、大声で叫ぶほどの激痛ばかりであり、主治医からは『終末期鎮静』の話が出ました。
延命は望んでいない
結婚式は挙げたい
そう、結婚式は、家族がさせたかったのではなく、本人の強い希望でした。
激痛の中でも、「殺してほしい」と「結婚式を挙げたい」が交互に繰り返されていました。
痛みに苦しむ本人を前に、これ以上、苦しめたくないという想いと、結婚式を挙げたいという本人の願いをどうするかで、家族は日々、大きな決断を強いられていました。
どちらを選んでも、きっと、後悔が残る。
その状況を支え、どちらかを選ぶのではなく、両方をと考えてくれたのは、医療者だったのです。
【結婚式を終えて旅立った彼女】
病院の方々が総力をあげて、病室で結婚式を挙げることを叶えてくれました。
スタッフが集まり、指輪の交換をし、その時だけは、彼女は痛みに顔をゆがめることはなく、笑顔を見せていました。
永遠の愛を誓った後、彼女は終末期鎮静を受けました。
この時の経験も、私が、人生会議について、想定外のことが起こることと、医療者が共に考える大切さを訴えている源になっています。
【その後の家族】
この状況に、心を痛め、支え続けた彼女の妹さんは、子育てをしながら、学校に通い、看護師になりました。
きっと、あの時に、側でともに考えてくれた医療者の大切さを、心から感じていたからだと思います。
あれから4年の日々が流れたのか…と、今朝、Facebookが教えてくれた過去の投稿を読み、胸が熱くなりました。
この頃、私の夫も、出来ないことが増えていきました。
人生最後の車を購入したのも、同じ4年前の2月です。
夫との別れの日が近いことを、私も感じていました。
夫のサポートではなく、希望の会を私が考えていく日が近いことを、覚悟し始めたのも、この頃だと思います。
【希望の会という名前】
こんな厳しい状況のがん患者会なのに、なんで『希望』なのかと、よく尋ねられます。
夫が、この名前を考えた時、私は胡散臭いと思ってしまったし、何が希望なのだろうと思ったのも正直なところです。
でも、今はなんとなくわかります。
人は、希望を失ったら生きていけない。
希望の中身はそれぞれだけれど、それでも、その状況での未来への希望を考えていく。
人は、希望に向かってだから頑張れるのかもしれません。
もうすぐ丸5年を迎える希望の会。
希望という言葉を胸に、それが幻ではなく、命に繋がり、そして、日々を、人生を支える医療に繋がることを願って、私に出来ることを、これからも考えていきたいと思います。
ぽっかりできた時間は、きっと、そのためのものです。
全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。