感動して泣けるなら、考えてほしい
日本肺がん学会は、昨日、新型コロナウィルスの感染拡大による受診、検診控えで、全国で8,000人を超える人の診断が遅れ、【治療の機会を逃した】と発表しました。
私が携わっている胃がんでも、同様に検診控え・受診控えがあり、手術症例は大きく減少。腹膜播種による手術不能症例が増加しているという報告があります。
この1年間に私に届く患者家族の声からも肌で感じており、胃がんの場合は検診控えのみならず、ある期間、検診自体が止まった、検査の延期も影響したのではと考えています。
そんな中、報道で、沖縄に旅行する人、渋谷スクランブル交差点の様子を見ると、命に繋がることを願って活動しているがゆえに、正直なところ、怒りが沸き上がってしまうのです。
甘く考えていた人の自己責任では終わらない話です。
【治療の機会を逃した】という言葉の背景にある多くの人の人生を思うと、悔しいとか虚しいなんて言葉では表せない感情がこみ上げます
SNS上では、グループに『さん』をつけなかったことを『呼び捨てにした』とか、スーパーで値引きシールがついているものを買うことを『恥ずかしい』と思うかどうかの話題があがっています。
私が学校という組織から離れ、患者会活動に携わるようになってから、痛い経験を重ねて感じてきたことは、人はそれぞれの経験、背景から価値観、判断をするのだということです。
以前は、話せばわかると思っていましたが、今は、話してもわかりあえないことがあると思っています。
You are OK. I am OK.
こみ上げる感情があって、それをぶつけても虚しいだけのこともある。
違う意見に接し、改めて自分で考えてみて、それでも間違いだと思わなければ、自分の信じた選択を進めばいい。
いろいろ思うことがあっても、感情を乱されずに、自分を信じられる毎日を過ごしたほうがいいなと思えるようになってきました。
でも、そんなにキレイに割り切れないことも実際あります。
昨日、また、突然の訃報を受けました。
この1か月、訃報が連続していたこともあり、ひどく堪えました。
昨年、私が『非がん』の団体の方々との多くの出会いの場を得ました。患者会ってなんだろうと悩み続けていた私の心は、出会いによってスッと整理されていったのです。その出会えた一人の方の訃報でした。
鉛のような気持ちで観た今朝の『おちょやん』
『生きてさえいれば人生おもろいことが起きるんやて、諦めたらあかんのやて教えてやりたい』という言葉がいつになく頭に渦巻いてしまっています。
まさかの栗子さんも涙を誘います。多くの人が涙しただろうとも思います。
旅行、飲み会を優先する人とは、きっと分かり合えないと思っています。
なんであれ、自分は自粛をする。そのような人に感情を乱されたくもない。
ただ、このドラマを観て、旅先で涙している人が居たら、これだけは言いたい。
【治療の機会を逃した】という言葉の重みを、お願いだから考えてください。
全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。