たくさんの旅立ちを見過ぎちゃったのかな
今回のポスターの一件で、『当事者も寛容になるべき』というコメントもいただきました。
私はポスターを取りやめてと伝えたのではなく、一律に全国に掲示することは不安だというニュアンスで意見を出したのですが、取材を受けたことでも、そこは伝えられていないのかもしれません。
何よりも小籔さんの問題ではないし、掲示する場所などに決め事があるのかなど不安でした。
ポスターとしてはレベルが高いという声に反論はありません。
ただ、がんのことだけ見ているからは違っていて、私は突然死も不慮の死も体験したし、「人生会議」をしていたことにこだわりそうになったことを、医療者が気づかせてくれた経験も伝えたかったのです。
それは、『こだわり』と言われてしまえばそれまでですが、より良い伝え方を考えて欲しいという想いでした。
【ピンピンコロリ】
よく、ピンピンコロリという言葉を聴きますし、ある意味、私の両親は突然死と不慮の死ですから、ピンピンコロリです。
苦しまなかったのだろうと自分に言い聞かせて、親の死を受け入れています。
ただ、遺されたものは辛いです。朝元気だった人が夜にはいない。
お年を召した方になら、そう言えるかもしれませんが、私が理事長をしている患者会の中では、配偶者がスキルス胃がん治療中に、お子さんを突然死で亡くした方もいます。
私も母を夫の告知直後に亡くしています。
苦しまなかったからとは言えない辛さです。
【年齢によっても違うのかもしれない】
私は火事で、母に生命維持装置をつけるかどうかの判断をしました。母の人生を考えて決断しましたが、我が子だったら、どう判断したかはわかりません。
若い人にも死はあるのだからと話しておくことは大切ですが、やはり、話していたからと決められたかなと考えると、難しいなと思います。
そこに共に考える医療者が必要だと感じます。
【延命を望むのは家族だけではない】
スキルス胃がんは若い罹患者も多く、小さいお子さんがいる母親が、我が子を親のいない子にしたくないと、機械で心臓を動かしてもいいから、生かして欲しいという事例も複数ありました。
実際は、そのような延命はしていませんが、生きるために、かなり命がけのことを願う配偶者の気持ちを受け入れつつ、最後の日々の質を思い出して、あの時に止めるべきだったんじゃないかと後悔し続けているご家族もいます。
また、結婚式を目前に、がんからの脳髄膜炎になり、『殺してくれ』と『死ぬ前に結婚式をしたい』を、
混乱して繰り返す我が子に、家族が、病院でウエディングドレスを着せて結婚式をした後に、終末期鎮静に至った事例もあります。
家族の判断を強く問われた事例でした。
この件も、医療者が共に考えてくれました。
【がんで死にたいなんて言わないで】
突然死や不慮の事故もあるんだし、がんで死にたいよねと言うコメントも見ました。
それが医療に携わる方々だったりすると、なおさら、胸が痛みます。
がんにも、いろいろあります。
終末期の状態も様々です。
私は、身内で、突然死、不慮の死、自宅での看取り(がん)、そして夫の旅立ち、さらにこの夏は、やはり身内で若い看取りがありましたから、何がいいという言葉は出ません。
死に方は選べない。それに、どちらがいいもないとしか思えず、だからこそ、『しなかったら後悔する』というポスターのニュアンスが気になったのだと思います。
【いろいろ考えて、伝え方も一つじゃないと進められないか】
患者会がポスターを無駄にしてしまったのだから、意見書を取り下げろという声もありました。
ポスターを止めろと言ったのではないし、厚生労働省も、あの日の発送を止めただけで、ポスター自体をやめるとは言っていないと思っています。
小籔さんが自分の顔がとおっしゃったようですが、そんな視点ではないので、それも胸が痛みます。
お母様の看取りからの想いが、あのポスターに込められているなら、それも一つ。
ただ、考えたのは小籔さんではないと思いますし、試作の段階で、『人生会議委員』の方々や、日本緩和医療学会などにも、レビューしてもらう段階も踏めたのではないかと思うのです。
誰のせいでではなく、どうしたら、より伝わるか
患者会の圧力と言われてしまうのは虚しいですが、患者家族の声を届けて、社会がより良いものになるように活動しているので、意見を持つことは大切にしていきたいと思っています。
声を上げた人の家族にまで、バッシングがいっている状況もあるようで、それは、あまりにも悲しいです。
ここからどうするのか。
こんなポスターはどうかなというウェーブもあるようですから、それも、より良い啓発に繋がって欲しいなと願っています。