全てが私

【たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である】

昨日、参加したセミナーで、『分人』という考え方に出会って、私は、ちょっと気持ちが楽になりました。

人前に立っている時の私と、日常の私。
ふたりの自分がいるみたいで、悶々と思っていたのです。
周囲から聴こえてくる『轟浩美って、○○』というイメージにも苦しみました。

でも、その時、一緒にいる人、自分はどの対場でそこに居るのか、状況によって、話し方、感じ方が違ってくることは自然なこと。
誰かが、私の「ある一面」を見て、そう思ったということが、私のすべてを表しているわけじゃない。その人が、そう思ったことで、私が決められてしまう必要もない。
すぅっと楽になりました。

私は『本当の自分』を求め、それは私が考える「あるべき姿」であり、それに全てを適合させようとしてもがいていたんだなと思います。
状況によりいろいろな顔があるのは自然なことで、それが適応、コミュニケーション力なのかもしれないとも。

家族だからと言って、相手のことを、何もかも知っているわけではない。
現に、私は夫が取材の中で語った言葉で、まったく見えなかった彼の気持ちを知りました。
私は、そのことを、彼の心を理解できなかった残念な妻だと自分を責めていたのです。
でも、それぞれの人には、もしかしたら一日の中でも状況によって、感じ方が違っていることもある。
だとしたら、見えなかった心があるのは当然のことかもしれない。
私が家族だから、話さなかったことでもあったのでしょう。

私の中には、強い自分も、ガラスハートの自分も、決断する自分も、留まる自分もいる。
だから、『ああ、こんな自分もいるんだな』って新たな発見を楽しんでもいいのかもしれません。

今日は、頑張れない私が前面に出ていて、化粧もせずにひっくり返っている。
でも、時間が来たら、化粧をして、朝からばっちり起きてました的な顔でオンライン会議に参加する。


完全にわかることも、わかられることもない。
そう思うと、悩むことじゃなく、なんだか面白い❢と思えたのでした。


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。