光射し込む4月の教室 #2000字のドラマ

「なんだか初めて会った気がしないね」

 そんな白々しいほどクサい台詞が、春が始まったことを教えてくれた。



 今日はアルバイト最終日だというのに赤荻はいつものようにレジの前で大きな欠伸を連発していた。

「目赤いけど、もしかして彼氏と喧嘩でもした?」

 レジ前の文庫本コーナーの整理をしながら店長が声を掛けてきた。彼のワックスでバッチリと決められた髪型と同様、そのコーナーには手を出したくないほど綺麗に本が並べられていた。

「いや、昨日は夜遅くまで友達とオンラインゲームに熱中してしまって」

 目を擦りながら赤荻は答えた。良かった、欠伸をしたのはバレていないようだ、セーフ。

「そうか、もう高校3年生は春休みだもんね。来月からはもう大学生か」

「そうですね。店長、3年間本当にお世話になりました」

「いえいえ、こちらこそ頑張ってくれてありがとう。あ、そうだ」そう言うと店長は綺麗に並べられた文庫本の中から一冊手に取って僕に渡した。

「卒業祝いね。これから大学生になる赤荻さんにピッタリの小説だと思うよ」

「いいんですか?ありがとうございます」赤荻は深く頭を下げた。夜更かしの影響か、目が熱くなっているのを感じた。

「4月から頑張ってね。大学の授業中は欠伸するんじゃないよ」

 バレていた、アウト。



 自宅から徒歩15分、額に僅かな汗をかきながらショッピングモール入口の自動ドアに足を止められることなく進み、1階から2階に上がるエスカレーターを昇ったすぐ左手にある本屋を目指した緑川の足取りは軽やかだった。お目当ての場所に到着し、今高校生の間で爆発的な人気を誇る漫画の発売を知らせる店内に張り巡らされたポップが緑川の心を弾ませた。

 緑川は本屋の一番奥にある漫画コーナーに直行し、残り10冊ほどとなった漫画を手に取った。ギリギリセーフ、その場で安堵のため息をついた。

 レジの方に向かおうと体の向きを変えた緑川の数メートル先に同い年だろうか、1人の男が1冊の本を手に取り、じっとその本を見つめていた。表紙を見て裏表紙を見て、そんな作業を1分程続けた後、男はその1冊の本を持ってレジに向かっていった。

 緑川はその男が手に取っていた本が何故だか気になった。文庫本コーナーに向かい、緑川は足を止めた。これだったかな。

「店長イチオシ!こんな仲間と大学生活を送りたかった!」

 色とりどりに手書きされたポップがこの小説をひと際目立たせていた。

 どうせ今は春休みで時間はあるし、読んでみるか。

 緑川は右手に2冊持ってレジに向かった。レジの方に目をやると女性の店員が大きな欠伸をしているのが見えた。



 青沼には普段から連絡を取り合うような友達はいない。

 3年前はサッカー部に所属し、一緒に帰ったり放課後に遊んだりする友達がいたのだが、中学校を卒業したタイミングで父親の転勤が決まった。

 あれだけ楽しかった僕の3年間はもう二度と来ないかもしれない、高校の入学式の日に既に出来上がっていた同じ中学校同士のグループを見て、青沼はそう悟った。

 高校3年間、朝起きて電車に1時間揺られ、授業を受け、昼休みは1人で過ごし、授業を受けてまた1時間電車に揺られ、陽が沈む前には家に帰るという毎日を送っていた。もちろん部活には所属しなかった。3年前まで仲の良かった友達との連絡は高校1年生の夏には途絶えていた。

 来月からは大学生。また同じような数年間は過ごしたくない。

 そう思いながら青沼はショッピングモール内の本屋に来ていた。店内は漫画の発売を知らせるポップがその漫画の人気ぶりを表していた。

 「店長イチオシ!こんな仲間と大学生活を送りたかった!」

 文庫本コーナーに置かれた店内唯一の手書きのポップが目に入った。青沼はタイトルの文字だけが書かれた真っ白な背景の表紙、あらすじだけが記されたこれまた真っ白の裏表紙の小説を手に取った。

 タイトルとあらすじを何回も確認した。今の自分にピッタリの小説かもしれない。

 そう思った時、青沼の横で風を感じた。

 顔を上げると1人の男が漫画コーナーに足早に向かって行った。

 「仲間」

 自分とは長らく縁の遠いその言葉に、心が揺らいだ。



 入学式を満開で迎えてくれた桜の花びらが大学の傍の大通りを通るトラックの風に煽られ、地面から僕の膝の高さまで舞い上がった。

 大学の門をくぐり、1限目の授業が行われる教室を目指した。入学して3日、学部内では早くもいくつか男女のグループが出来ていた。聞こえてくる会話によると、どうやらTwitterで入学前に繋がっていたようだった。そんな手があったとは、同年代にも関わらずハイテクだ。

 僕は教室の後ろの空いた席に座り教授が来るまでの間、お気に入りの小説を読んで待っていることにした。

 栞を辿りページをめくると顔に風を感じた。

「その小説、俺も好きなんだけど」

 そう言って僕の隣に座った彼はリュックの中に手を突っ込み、今人気の漫画のキャラクターのシールが貼られた筆箱を机の上に置いた。

「あ、その小説私も読んだことある」

 先ほどまで隣の席で眠っていたはずの彼女は目を擦り、大きな欠伸をしながら言った。

「この小説すごく面白いよね。僕はひょんなことからこの小説を見かけて好きになったんだ」

「ひょんなことから…」2人は同時に言った。

「俺も」「私も」これまた声が重なった。

「なんだか初めて会った気がしないね」


 真っ白な小説が置かれた机のもとに、春の爽やかな風が届いた。



#2000字のドラマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?