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祈りの持つパワー 

薄ピンクの桜が咲きはじめました。今年も春のお彼岸になりました。
お彼岸はいつも墓参りに行きます。

ご先祖様にご挨拶、「いつも守ってくれてありがとう」と
私たち家族は祈ります。


最近読んだ本「祈る心は、治る力」 (ラリー・ドッシー著)には、
祈りについての考察がたくさんでしたので、少しシェアしたいと思います。


祈りには、実際に病気を治す効果がある。
アメリカでは祈りの研究がすすんでいるそうです。


「ホントに効果があるのかどうか・・・」「宗教でしょ」
と言う方も多いかもしれません。



でもこの本を読むと、祈りはどうやら宗教的行為とは限らないようですし、祈りをもっと広い意味でとらえた方がいいと思いました。




なぜ効くのかはわかっていない

祈りを科学的に調査した結果、効果があるという事実があります。
でもどのように祈りが働き、なぜ効くのかということまではわかっていません。

それに、祈りは離れた場所からでも人を癒すのだそう。
つまり距離は関係ない。そして単なるプラシーボではないらしいのです。

祈りを受ける側の人間が、誰かに祈られていることをまったく知らなくても
離れた場所からの他者への祈りと言うものが効いたという実例は、数えきれないほどあるのである。それらがすべてプラシーボ効果によるものだと言い切ることは出来ないだろう。

「祈る心は、治る力」



医師の中には「今日の手術がうまくいくように」と祈っている人もいるそうです。


日常で祈りに似たことをしている

祈ることで、何かがすぐ変わるでしょうか?
多分そうではないと思います。



だけど日常の多くの場面で、私たちは祈りに似たことをしていると思いませんか?



料理の時に「美味しくな~れ」という呪文をとなえる。
子どもに「痛いの痛いの、飛んでけ~」とおまじないをする。
これらは小さな祈りの一種だと、私には思えるのです。


遠足の前には「雨が降りませんように」とてるてる坊主をつくる。
神社では「家族が健康でありますように」と参拝する。



地震・台風など自然災害にあわれた方に
「どうか、はやくもとの生活に戻れますように」と心でつぶやく。


自分の意志ではどうにもならないことがある。
そんな時現実が、少しでも良い方に進んで欲しいと心の中で願う。



それらは全部祈りとなっていて、もしかしたらその願いは届くのかもしれないことを体験的に知っている。だからこそ人は祈らずにはいられない。


祈りの中に不思議な力を見出している私たちは、日常の些細な願い事を通じて不思議な力の源にアクセスしたいと思っているのかも。


神さま、大いなる存在、サムシンググレート、その言葉は何でもいいと思います、祈りとはそれらの存在を信頼をしているひとつの「あり方」だと理解できます。




「祈り」の意味

ところで日本語の「いのり」の語源とは
「生きる(い)ことを宣べる(のり)」です。


「い」は生命力、「のり」は祝詞や詔と同じで宣言を意味しています。
つまり、自分の生命を宣言すること。
だから神様に対してお願いすることではないみたいですね。



私は怪しげなスピリチュアルからは距離を置くようにしていますが、祈りついては肯定的でむしろ必要なものだと考えています。



というのも慈悲の瞑想という、あらゆるものの幸せを思う瞑想法があります。この瞑想法が好きで時々実践するのですが、瞑想というよりもこれはもう「祈り」そのものだと思うからです。



祈りは科学的に解明されるか?

さてあなたは、祈りが科学的に解明される時が来ると思いますか?
私は解明されないで欲しいと思います。
なぜなら、解明されてしまったら悪用されてしまいそうだから。


だから解明されない方がいい、それに解明されたら逆に祈らなくなりそうですからね。


ただ、村上和雄さん(筑波大学名誉教授)は、著書「人は何のために祈るのか」の中でも、祈ることは遺伝子スイッチをオンにすることだという考えを提唱しています。


祈りという非科学的なことを、科学者さんがこう捉えているのはとても興味深いです。





願いを叶えてもらうコツはある?良質な祈りは人間にとってプラス


祈りで願いが叶えるコツがあるのでしょうか?



こう祈れば良いですよというマニュアルはありませんが、
祈りのエッセンスが詰まっているようなこの文が参考になります。

「何よりもまごころを持って感謝の気持ちとともにただ無心に祈れ。そして大いなるものにまかせよ。すると、一番自然の理にかなうかたちで、おおいなるものは治癒を実現してくれる」

「祈る心は、治る力」



あつかましい願い事をするより、言葉にならなくても真心をもって感謝の気持とともにただ無心に祈ること。


「○○が良くなりますように・・・」
まごごろと感謝の祈りは、それが何らかの形で(もしかしたら自分が気づかない場合があるかもしれませんが)きっと聞き届けられるのでは・・・?



すべてが贈り物である

祈りは宗教だけに限定されたものではなく、言葉にならないような祈りでも良い。形式は関係ない。いつ祈っても良い。
そんなことがわかりました。さて、少しまとめてみましょう。



①祈る時にはまごころで、そして感謝の気持ちを伝えること。信頼してゆだねること。


②神様(大いなる存在)は幸せそのものを与えてくれるのではなく幸せにつながる何かを与えてくれる。それは多分、自分で気づくことが必要なのでしょう。


③祈りも薬も医療もすべて恵み、祝福、贈り物であるということ。
そういった心構えこそが、祈りの可能性を最大限に引き出してくれる。




日本人と祈り

さて、効果が認められているからと言って、祈りが医学や他の何かより優れているわけではありません。それに、ただ祈るだけですべてを解決しようとするのは違っていると思います。


祈りには遺伝子スイッチをオンにする力があるのかも知れず、意外なパワーが秘められているということは言えそうですね。


決まりきった唯一の対象ではなく、美しい自然、温暖な気候と豊かな四季、そして食べ物を与えてくれる土地といった自然すべて、そこに感謝の気持ちを表すことを日本人はごく普通に生活の中に組み込んできました。


ごく小さな言葉にもならないような願い、ご先祖様への思い、周りの人に対する思いやりの心、文化や風習の中で伝えられてきたもの、私たち日本人は意外にもたくさんの祈りの形を持っているのではないのでしょうか。



あなたは普段の生活で、祈る時間をもっていますか?



お読みいただいてありがとうございます。✨

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まめリス
記事がお役に立てれば嬉しいです。自然こそ私たちのお手本。自然や周りの人を大切にする日本の心を取り戻したい。サポート大歓迎。