ウクライナのカテリーナさん、音楽とお母さんを守りたい
ロシアとウクライナの戦争状態、いつまで続くのでしょうか。
平和を祈る思いとは裏腹に戦火がおさまりません。
4月30日、美術教室のアトリエ(ここで私はライアーを習っています)では、ウクライナの民族楽器バンドゥーラの演奏家カテリーナさんのコンサートが開催されました。
20名ほどでいっぱいになる小さな教室。
彼女は6年ほど前からここでモデルさんをしていたんですね。
壁いっぱいに素敵な民族衣装とバンデューラが描かれた、
きれいな絵が飾られています。
カテリーナさんはこんな方です
ウクライナ出身。チェルノブイリ原発から2.5キロ離れたところに住んでいましたが生後30日の時に原発事故に遭遇。3日間だけ避難してくださいと言われ街から強制退去させられたそうです。
でも結局、2度と自分の街に戻れることはありませんでした。
そして避難先のキエフで育ちます。
学校では避難民に対して食べ物が支給され、そのことでいじめにあったりしたそうです。
チェルノブイリ原発で被災した子供たちで構成された音楽団に入り、海外公演などに参加します。コンサート活動で日本にも何度も招かれ、そのたびに日本の素晴らしさに感動したそうです。
「またね・・・」はもう無いかもしれない
今回、戦禍の首都キエフではお母さんのマリヤさんが1人暮らしていました。カテリーナさんは「いつ爆弾が落ちてくるか・・・」と不安な気持ちで過ごしていたそうです。
ある時すぐ近くの建物に爆弾が落ち、毎日電話で「またね」と言うけど「またね・・・」がもう無いかもしれない。そう思いお母さまを脱出させることを決意。
母マリヤさんは長い時間列車に揺ら、夜中に4時間近くも歩いたそうです。ポーランドを経て日本へ。高齢になってからの海外への移動はどれほどたいへんだったことでしょう。
マリヤさんは避難しましたが、お姉さんや親族はまだ母国に残っているということです。
バンドゥーラのことを紹介してくれました
日本の琵琶に似た弦楽器です。長さ1・2メートルくらいでしょうか。重さは8キロもあるそうです。かなり重いですよね!
60本以上の弦を左手でベース、右手でメロディーを奏でて美しい音色を生み出す。もともとは20弦くらいのもっと小さな楽器だったそうです。
音は、ギターのようなチェンバロのような音。ちょっとお琴のような音もします。
聴いていてとっても落ち着く音色。
今回ウクライナの楽曲と、日本語の「翼を下さい」を歌ってくれました。
希望に向かって翼を広げるようなきれいな歌声に、グッときました。
「ウクライナで12世紀の頃にできた楽器です。昔は目の不自由な男性の方が演奏していました」
貴重な文化や芸術が破壊されるのは悲しい
このバンデューラもスターリン時代には危機にさらされ、多くの奏者は殺されたり、楽器が燃やされたりしたそうなんです。
今また、この楽器を製造しているウクライナ国内の工場も危機にさらされているそうです。
「10歳の時に日本中を回って公演しました。その頃から、いつか日本に住んで演奏したいなと思っていました。この国だったら、ウクライナの楽器、ウクライナという国を紹介していけると思いました」
皆さんが健康で平和でありますように
さて、今回のコンサート後に母マリヤさんが
「ここに来るまでいろいろな人に応援してもらい感謝しています。戦争が早く終わることを望んでいます」とご挨拶されてました。
そして、何度も何度も「皆さんが健康で平和でありますように」とおっしゃっていたのがとっても印象的。
今ウクライナでは、学校や住宅地、病院、原発が攻撃され、子供たちも大勢犠牲になっています。罪のない人々が巻き込まれています。
人々が命を守るため逃げ、不安と緊張で一杯の日々を過ごしていることでしょう。破壊された建物、戦車、がれき、人々の嘆き、叫び。住み慣れた街のあまりの惨状に私たちが想像する以上に悲しみは深いことでしょう。
ウクライナにとっては、大切なものを守るための闘い。
カテリーナさんにとっては自国の文化や芸術に誇りを持ち、それを守り伝えるための活動。
ウクライナの楽曲には「母」をテーマにした曲がとてもたくさんあることを初めて知りました。カテリーナさんの「ママを守る」という言葉が本当に力強く響きます。
大切なものを守る凛とした美しさと強さが漲っていました。
音楽は私たちに癒しと安らぎを与えてくれる
心配で眠れないとき、音楽や芸術は静かに私たちを癒し安らぎとなります。不眠症だった頃の私にとって、音楽は本当に自然の睡眠薬となってくれました。
水や空気と同じくらい、人間が人間として生きるには音楽や芸術が必要。
音楽や芸術の持つ力に、人はとても励まされます。だからとても大切。
本当にこの戦争がはやくおさまることを心から願います。そしてカテリーナさんをこれからも応援します。